Anima48

雨の日は会えない、晴れた日は君を想うのAnima48のレビュー・感想・評価

3.7
友達の退院が自分事のように嬉しいとか友人の結婚式で感動して泣くとか、その場で相応しい感情を持つことって素晴らしいけど、そんな風に心が動かない自分に出会うと少しばつが悪い。そういえば好きの反対は嫌いじゃなくて無関心だと誰かが言っていたっけ。

自分の感情でも自分じゃどうにもならないときがあって、こみ上げる何かを抑えることができないときもあれば、常識では当然胸に沸き起こるはずの感情が見当たらないこともあったりする。妻の死を知らされた直後、ディヴィスは一般的には取り乱したり悲しんだりするところなのに自販機からM&Mが出ないことが偏執的に気にかかり、クレームの手紙を出すことにした、それも告別式のすぐ後に。そして対して自分の心の状態にうっすらと罪悪感なのか虚無感や無力感なのかわからないけれど不思議さを感じている。以前から妻の話もぼんやりと聞き流し、まるで感情がゆで卵の膜に包まっているような感じだった。そもそも彼が活発な様子を見せるのは高層ビルの一室で無機質な通貨や買収スキームに関して仕事仲間とやり取りをする時だけで、感受性が麻痺しているみたいだ。地に足付いた日常生活で家族や親しい人と性格をむき出しにしたやり取りは絶えて久しそう。彼が妻を亡くした後の心境を吐き出すのも見知らぬ相手への手紙だったし、それはある種のセラピーとして働いたのかな。

そんな彼にかまわず物事は進み、妻の両親は悲しみに暮れて彼も周りからは同情される。思えば誕生・結婚・成功や失恋・離婚・死別等の物事があって、社会で生きていく限りその物事毎に期待されたりふさわしいとされる振る舞いや感情がある。今回なら結婚生活の幸せな時間を振り返り、喪失感を嘆くような。でもすべての人がそのとおりに喜怒哀楽や感謝や愛おしさを感じたりするのは難しくて、それに応えられない人にはある種の力が働いてしまう。例えば義父のようにディヴィスの勤務姿勢に全く違う解釈をしてしまうとか。そんなことに対するぎこちなさを思い出した。

だけどディヴィスには妻を亡くしてから何か世の中が以前と変わって見えてきた。膜を剥いて曝したつるんとしたゆで卵の白身のみたいに、埃を被って死んでいたセンサーがむき出しになった様だ。そのアプローチはまるで幼児のそれに似ていて、衝動的に非常ボタンを押したりとか、一般的には奇行のような危うい振る舞いで、嘘をつくことを知らない子供のようにあけっぴろげに自分を飾らず語るようにもなる。自分の性に悩む若人にも理想論に囚われず、かなりあけすけな地に足ついたアドバイスもしていた。何だかディヴィスと世界が新しく関係を結び直している様なそんな感じ。

義父の「問題の真理を掴むために、物事をバラバラにする」というアドバイスに沿ってデイヴィスは、目についたものをかたっぱしから分解し始める。けれど自分の心の分解と分解対象が当初は嚙み合っていないように見えた。不思議と解体しても点検・検証してる感じでなく、あの様子は彼の心持ちを知らない人が見ると、まるで哀しみを忘れるために自暴自棄に何かに没頭している様にも映るんじゃないかな?ついに妻との結婚生活が詰まった家をバラバラにするに及ぶ。たぶん彼は悲しめない自分自身を異常だと考え、その原因を探り、できれば普通の感情“悲しみ”が機能するようにしたい、言ってみれば心を修理したいというような想いだったのかもしれない。途中まではデイヴィスはなかなか真理にたどり着けない。一般的には修理という動作には、原因の特定の見立てを経て実際の修復に至る流れがあるけれど、原因が全く思いつかない。・・なぜなら無関心で推し量ることをしなかったから。分解の末の発見も彼に原因を気づかせてはくれなかったようだ。

だけどデイヴィスは愛に恵まれない男じゃなくて、何通も手紙を送られたことへの好奇心から知己を得るカレン、無礼とも思える態度を見せられても悲しみと怒りを制御してバーで元気づけようとする義父などに囲まれてる。そして疑似父子関係ともいえるクリスを気遣い、不意に出会うとある男にも労り、そして自分が与えられなかった幸せを妻が得ていた可能性に思いを馳せる。無関心を越えて、自分の心に労わり・気遣い・後悔といった心の息遣いを蘇生させていくデイヴィス。邦訳のタイトルが象徴となった瞬間、妻の気遣い・心のくすぐりがよみがえってくる様は哀しいけど彼の心は死んだゆで卵ではなくて、新鮮な卵へと生き返る。ストーリーの間、天気も薄曇りが続くけれど、最後にはぼんやりと光芒が差すような気がする。

正直なところ経営者の一族になって裕福な暮らしをしてすてきな奥さんを愛していたけど大切にできなかったというのは少し贅沢で貴族的な驕りと批判されるかもしれない、順調な暮らしぶりという枠組みの中で本来の人となりから離れた感受性が麻痺していたのかもしれない。けれど、それに気づいてももう奥さんは帰ってこない。分解が再生の手段というよりも心情の現れの様にも見えて、カレンやクリスとのやり取りの方が心の再生に役立ってたようにも感じた。

とはいえ、自分の心の中にある説明することが難しい部分、ちょっと正直に人に打ち明けられないデリケートな気まずさとかに寄り添ってくれるストーリーなのかな。有頂天とか喪失、激怒と感情の状態や局面を現わす言葉は色々とあるけれど、何かに出会った時の人の心はそういった言葉をいくつ並べても上手く説明できない。そんな状態をジェイク•ギレンホールの表現力や佇まいでそのまま見せてくれて現実感があった。他の俳優さんだとなかなか難しかったかもしれない。

・・分解したものは元に戻せれば良かったなって、少しそう思う。要らないものあったら庭先でガレッジセールやってくれたら寄り道したいかな。
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