せーじ

あんのせーじのレビュー・感想・評価

あん(2015年製作の映画)
4.4
イオンシネマで樹木希林さんの特別追悼上映が開催されており、そちらで鑑賞。平日の午後ということもあり、2割~3割位の人出。

社会との関わりが一切許されてこなかった閉ざされた場所で、50年以上"あん"と向き合ってこられたある女性の話。
原作は未読だったが、作者は個人的にも思い入れのある人(学生の時にこの人のラジオ番組のリスナーだった)なので、読まなければなるまいなと思ったり。
作品自体は自然主義的な撮り方や、強く主張しない劇伴が心地いい、そして、あんとどら焼きが美味しそうだと心から感じられる素敵な作品だなとは思ったのだが、自分にはどうしても引っかかって仕方がないことがあった。

どうして、店長たちをあのような身の上の人間として描いたのだろう。
そしてどうして、あのような立場のもとにいた彼らだけが、彼女と深く関わるような描き方をしたのだろう。

徳江さんの生き方が素晴らしいのはわかるし、その事に関して否定するつもりは一切無い。けれども、店長たちがなぜ"普通の人"ではいけなかったのか、そこが自分には全くわからなかったのだ。何故なら、徳江さんの残した言葉は、どんな人にも伝わるべき正しくて強い言葉だと思ったからだし、何よりも劇中で作られた"あん"が、誰の目から見ても美しく美味しそうに見えるはずだろうと思えたからだ。そう考えて、拙いながら調べていくうちに、この作品はこの作品そのものの背後に隠れている物事が物凄く大きく、深く、哀しい事実ばかりであるということがわかってきた。

・そもそもの話、この作品を撮るのにイチからスポンサーを探さねばならなかったこと。
・原作を出版する時に一方的に断ってきた出版社があったということ。
・この作品の舞台とされた町が、この作品を使った町おこしをしようと動いたところ、反対する住民があらわれたこと。
・原作者のもとに「指が曲がっている人が作っているどら焼きは食べたくない」というメールが来たということ。
・そして、法律が廃止されて20年以上たつのに、今もなお多くの戻れない人、戻れないお骨があるということ…

本編の中盤、徳江さんのことについて、あからさまに露骨で差別的な言葉を店長に投げつける人物が現われ「ちょっとこういうのって今どきの作品としては古臭くないか…?」と自分は訝しんだのだが、いやいやちょっと待てよと原作者や作り手の方々のインタビュー記事などを調べていくうちに、そういうことではなく、本来であれば訝しむような露骨でベタな"それ"が、今も人知れず残っているというのが実情なのかもしれない…と思い至ってしまい、ゾッとしてしまった。
「店長がどら焼きを突きつけて、だったら食べてみてくださいよと啖呵を切るような熱い展開があってもいいのに」と思ったりもしたけれど、つくり手がそうしなかったのは、そんな風に描く事が出来ないほど厳しい現実が今も横たわっているのだということなのかもしれない。何故なら徳江さん達は、強制的に名前を変えなければならなかった訳だし、お墓を持つことすら許されなかったのだから…と考えたところで、それ以上は何も言えなくなってしまった。

あの美しくも美味しそうな"あん"の本当の味は、店長やあの子のような立場の人々にしか届かないということなのだろうか。ぼくたちには、あのムカつくオーナー母子や、うるさいだけで来なくなってしまった女子高生たちのように、それが完全には理解できないというのだろうか。

まだ、自分にはそれがわからずにいます。

ただ、樹木希林さんが手弁当で各地の舞台挨拶にまわられたように、この作品は存在そのものに、かけがえのない"価値"があるということは間違いないと思います。
ぜひ、触れて頂きたい、考えて頂きたい作品です。
せーじ

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