あーや

独裁者と小さな孫のあーやのネタバレレビュー・内容・結末

独裁者と小さな孫(2014年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

モフセン・マフマルバフ監督の「独裁者と小さな孫」を観ました。

舞台は、架空の小さな独裁国家。ある大規模な反乱がきっかけで体制崩壊したため、全国民から追われる身となった大統領が亡命するために国内を逃げ回るというストーリー。
権力者の独裁っぷりを散々描いた挙げ句処刑する作品は数多くありますが、ひたすら逃げるだけの大統領を追った作品はあまり無いのではないのでしょうか。
大統領と一緒に逃亡するのはダチという名の男の子の孫(本当にダチと言う名前の小さな俳優さんでした)。生まれた時から独裁者の孫であるダチは権力の使い方を刷込教育されており、絶対的な権力者である大統領をとても慕っているため、革命直後に国外へ亡命した他の家族とは同行せずに大統領の元に残ったのです。大統領はダチを連れて”旅芸人とその孫”に変装し、海外への亡命を果たすまで国内を逃亡する事になりました。
そんな彼らは道中で自分たちの国の荒れ果てた内情を次々と目にする。早朝から労働に駆り出される子供たち、新婦を強姦した挙げ句殺す兵士たち、金が支払われないと分かっていても客を取り続ける娼婦、政治犯として逮捕され何年間も酷い拷問に耐えてきた男たち・・・・彼らは口々に全ての苦しみは大統領のせいだと訴える。特に印象的だったのは5年間拘束されていた男が妻のいる家に帰還する場面でした。画面いっぱいに写った彼の顔。瞳は大きく見開かれている。現実を受け入れられない憤りと誰のせいにも出来ない不甲斐なさ、募る大統領への憎しみ・・。顔全体の筋肉を駆使して全ての感情を表現していました。物凄い演技です。
大統領自らも時々目を伏せてしまうように、ひとつひとつのストーリーが凄惨な上に生々しい。それでも見続けることが出来たのは、ダチの無垢な可愛さとアコースティックギターで奏でられる乾いた旋律の音楽のお陰ですね。胸が苦しくなる場面と気持ちに少しゆとりを持てる場面を繰り返して物語が進むため、逃亡劇にも関わらず終始気が滅入る訳ではないのです。上手い。
マフマフが作り出す感情の波に乗せられながら映画はクライマックスへ。かつて絶対的な権力を持っていた祖父が群衆に捕まった途端「絞首刑に処せ!」「先に孫の首を吊れ!」「火炙りに!」と罵倒されている。そんな罵声を聞きながら祖父と同じように小さな両手をあげるダチ。恐怖にガクガクと震えて声も出ず、涙が溢れたその目に映るのは自分たちの事を心の底から憎んでいる大人達の姿だ。あの細くて小さな首に縄がかけられるシーンは胸が(というより心臓が)痛くなりました。。
しかし、そこに現れたある男の発言でダチの運命は急転します。その男は逃亡中の2人と一緒に馬車に乗って移動し、本物の民主化について熱く持論を語っていた男でした。「負の連鎖を止めないと同じことが繰り返される。独裁者を殺した後は国民同士が争い合うだろう・・」それならどうすれば良いのか?彼は自らの身をもって主張します。血みどろになった大統領の隣に横たわり、空を見上げた時に頬を伝った一筋の涙とその瞬間に発せられた台詞こそ、マフマルバフ監督からのメッセージなのでしょう。戦争、ホロコースト、大虐殺・・歴史は同じ過ちを繰り返す。それでも彼のような考えを持ち、実際に英断を下せる人がいれば復讐に復讐を重ねた不毛な繰り返しに歯止めをかけられるのかも知れない。(しかし彼の存在はあくまでも理想の体現化であり、現実の革命ではこの男性のような存在は現れないのでしょう。それでもいい。これは映画なのだから。せめて映画には希望があって欲しい)
撮影されたのはジョージア(旧グルジア)なのですが、薄い土色の寂れた建物や馴染みのないジョージア語の音などから日本から遠く離れた国で本当に起こった革命の話のように感じました。しかし、独裁国家は現実に私たちの身近に存在する。革命後に独裁者が辿るであろう運命を観た気がしました。やはり元イラン人の偉大な作家モフセン・マフマルバフ。さすがです。素晴らしいとしか言いようのない映画でした。
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