新潟の映画野郎らりほう

クリント・イーストウッド アウト・オブ・シャドーの新潟の映画野郎らりほうのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

【貴方の侭でいてください】


イーストウッドが遂に第二次大戦を描く、それも二本も。
40年にならんとするその長いキャリアの中で 過去に様々な題材を扱いながらも、然し大戦に対しては一貫して慎重な姿勢を崩さず距離を置いていた彼が遂に。

集大成なのだろう。そして彼も、集大成を撮る様な時期にもうとうに入っているとゆう事なのだろう。
何も言わずとも解るよ。

クリントイーストウッド-それは私にとって「映画」とずっと同義語だった。

製作発表から凡そ2年、指折り数えてこの日を待ち焦がれていた筈なのに今は複雑な気持ち。

今回はとても大きな節目だけど、私はこれからも貴方をずっと見続けてゆくよ。

貴方の侭でいて下さい。

--- 2006.12/01(ブログより転載)




イーストウッド映画を見続けて来た私は『答は観客が識っている』とゆう彼の言葉通り、主張や説明を押し付けられるのを好まず「自ら考え 自ら答に辿り着きたい」と思う様になってきた。
前作「チェンジリング」は私が求め続けた映画だった。そこに究極的自立を遂げる主人公は私自身であり それは究極の映画体験と言っていい。

でも、
でも………、

私が望み 求め続けていた「自立」、皮肉な事に それは私が最も怖れていた事 -「イーストウッドの喪失」- だったのかもしれない。
これ迄もイーストウッドは幾度と無く自己を消失させてきた。一連の西部劇では自らを亡霊に準えた。主張と断定を拒否し 自らの意見を消し去った。「ミスティックリバー」では絶対的な答(神)を消し予定調和を完全に葬った。「ミリオンダラーベイビー」ではドラマの要である表情を隠し覆し、「父親達の星条旗」では自らが属した英雄を否定。息子(観客)に語る事すら止めた。
どんどん〃〃イーストウッドが消えてゆく…。
そして「チェンジリング」では最早 審美性や技巧を誇示する事もない…。

イーストウッドは自らを消失させる事で私に自立を与えてきた。
私には、イーストウッドの境地と 自らの自立を喜ぶ一方、どんどん消えゆくイーストウッドへの涙が溢れていた。

---2009.04/15(ブログより転載)




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