ryosuke

夢のryosukeのレビュー・感想・評価

(1943年製作の映画)
4.0
 時折複雑な影によって画面を彩りながら、奥行きを存分に活用(画面奥を通行する人物)しつつ、(複数の)人物を丁寧に額縁に収めていくような端正なカットが連続し、それらがアクション繋ぎによって流麗に結び付けられる。要所要所で差し込まれるクローズアップの強度も含めて映像が高品質な上、多くの登場人物の性格付けを手際よく済ませる群像劇の処理も見事で、名作と呼んでよい出来だった。
 バルネットの作品では単なる置き物ヒロインにしか見えなかったエレーナ・クジミナの真価が分かった点も良かった。実らない喜びに顔を綻ばせる顔の哀れも、誇り高い怒りと共に悪態を吐く姿も真実味に溢れている。片手で持ったトレーを気に食わない客の元へ運ぶ横移動撮影が幾度か繰り返され、最後には破綻が生じるのだが、その際のトレーを左右に振る動きの優雅さが記憶に残る。
 エセ紳士のコモロフスキー(Mikhail Astangov)も印象的だった。慇懃無礼なその声色。彼が絡むエピソードは強烈な代物で、彼が、レストランで自分を振った女の連れの虚飾を暴き立てるところから、群像劇の登場人物たちの極端な墜落と崩壊が始まる。しかし、ワンダが彼を訪ねて行った先には、ボロ家でボロ布を干す男が立っており、彼もまた虚構の中でしか生きられない人物であることが明らかになる。
 技術はありながらも客が捕まらないことに悩んでいた御者は、下宿先を追い出されたアンナに同調し、遂に正しい客を手に入れたかのように思われたが、彼女の深い喪失を目にして次第に元気を失う。世界の果てまで送ると告げたはずの彼は、ここが限界だと述べてアンナを暗い路地に降ろす。去っていく御者を引き攣った笑顔で見送るアンナのクローズアップの苦味。それでも、仕事も家も失ったアンナの歩行を仰角のトラックバックで捉える際の彼女の顔は、崇高な印象を有している。
 抑圧的な政府と貧困の国であるウクライナから希望の国ロシアへの脱出というプロパガンダ的な図式。しかしその試みはあっさりと失敗し、「一瞬の帰りの旅」の後、アンナは投獄されてしまう。ある時一瞬触れ合った男との再開。アンナは顔の確認を口実にあの日の距離を再現しようとした後、微笑と共に男を見つめる。実に甘美な印象のシーンだった。
 悪役であるはずの宿の女主人も、檻越しの息子との面会のシーンでその痛みと年輪を見せることで、人物を単純な役割に押し込めることをしない。頑なに、強靭に自己を鍛えてきた彼女の人生は息子に捧げられたものだった。その息子を一般名詞の「技師さん」と呼び、「私の人生は無駄になった」と嘆く彼女に「一生帰らない」と応じる息子。
 ウクライナが「ソヴィエトがやってくる」ことで救われるハッピーエンドは、昨今の情勢も考えるとますます笑えないプロパガンダなのだが、そのプロパガンダ性はこの群像劇の美しさを損なっているだろうか。いや、損なっていないとは言い切れないだろうが、少なくとも、アンナにその想い人が処刑されたことを告げた後、彼女にカメラを独占させるために、男に画面からスッと身を引かせる手つきは、国家の思惑を一瞬忘れさせるほど美しいものだった。
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