フラハティ

人生はローリングストーンのフラハティのレビュー・感想・評価

人生はローリングストーン(2015年製作の映画)
3.6
2008年9月12日。
ある偉大なアメリカの作家が自ら命を絶った。
作家の名はデヴィッド・フォスター・ウォレス。


天才と呼ばれた小説家デヴィッド。
存在はさすがに知らなかったので多少ググった。
彼は『Infinite Jest』の大ヒットにより、一流小説家たちの仲間入りを果たした。
だがかなり分厚い本なので、読破することができない人も多々存在したらしい。書籍を持っているのが一種のステータスでもあるみたいだ。


本作はローリング・ストーンの記者である主人公が、ウォレスに5日間のインタビューを行う物語。
実際のテープレコーダーのやりとりを映像化したようなものでもある。
本国アメリカでの評判が高いのは、恐らくウォレスのファンが多く、彼の価値観や生き方を事前にある程度知っていたからなんだろうと思う。

過去に本を出版したが、売れることなく記者をしているデヴィッド・リプスキー。
奇しくも天才と同じ名前。
あの天才は一体どんなやつなんだろう。
期待に胸を膨らませ、彼の自宅へと向かう。
一般人と何ら代わりのない男の姿がそこにはあった。


人生で成功を手に入れても、恐怖をどこかで抱えている。
脚光を浴びたとしても、そのなかで溺れていってしまうかもしれない。
鬱病を抱えていた彼は、生き方というものに閉じ込められていたのかもしれないね。
彼が抱えている問題は誰にも共通するところがある。

本からその相手の考え方や思想は見えてくるという。
だからこそ世間からのギャップはかなりあって、本当の自分を知っているデヴィッドは苦悩している。
天才と思われていても、実際はそんなことはなく至って平凡。
本作は会話劇がほとんどだが、語り口から生きることそのものについて深い考察がされている。
ウォレスにとって、小説以外で長い人生の中のたった一瞬、理解してくれる相手が存在したのかもしれない。
この世にいない彼が何を思い、あの瞬間を彼がどう捉えていたのか知るすべはない。
繊細だからこそ、生きていくことに対して考えすぎる。

確かに人生で孤独を感じる瞬間は多くある。
好んで孤独になることもあれば、恐怖から孤独を感じることもある。
「心を病むことは、怪我よりも辛い。」
というのは真実で、孤独から心を病むというのは珍しいことではない。
表面的に現れる怪我よりも内面的な心の病のほうが、どれほど深い傷であるのかはわかりづらい。
贅沢な人生は望んでいない。
愛する犬たちと、意味のある人生を送りたい。
テレビがついていると一日中観てしまう。
ムダに時間を使ってしまっているようでもったいなく感じる。


本当の自分と一緒に楽しみを分かち合ってくれる存在。
雑誌の記者と天才と呼ばれた小説家。
アメリカで作家という同じ道を志しながら、成功を見た男と成功を見ることが叶わなかった男。
本当の友だちというものが数少なければ、通じ合えていると思える相手も自然と少なくなる。
二人が過ごしたたった5日間でも、別の場所で出会っていれば親友となっていたかもしれない。
でも二人は確実にこの5日間を共有していた。
語り合ったし、価値観を知ったし、ケンカもした。
仕事上の関係を越えて、小説家という関係を越えて、一人の男として評価していたんだろう。

物語の最後、彼の家の中を記録するシーンは何だかいいな。
いつしかこうなる未来が見えていたようで、もの悲しくなる。
「俺みたいになりたいか?」




ウォレスが大学で実際におこなったというスピーチで、卒業生に向けた言葉には深いものがある。
ちょっと要約すると、
世界は自分中心に回っている。
そう考えるのが当たり前だが、ちょっと視点を変えてみよう。
めんどくさいことや無意味なことに意味を見いだすこと。
どんな場面でも意識的に考えてみる。
自分以外の他人の人生を考えてみる。
“自分の頭で考えること”はとても大切なことであるから。
考えるということはそういうことだ。
フラハティ

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