ま2だ

エンドレス・ポエトリーのま2だのレビュー・感想・評価

エンドレス・ポエトリー(2016年製作の映画)
4.6
エンドレス・ポエトリー観賞。

アレハンドロ・ホドロフスキー監督の自伝的内容、幼年期を描いた前作「リアリティのダンス」(未見)に続いて本作ではホロフスキーの青年期が描かれる。

劇中で唯一、オペラスタイルを貫く母親のキャラクタに象徴的だが、ここでは登場人物のシンボル化・シンプル化が進み、演劇的・コント的なものにまで昇華されている。エミール・クストリッツァ作品にも言えるが、マジック・リアリズムと併用される登場人物のカリカチュア表現によって、表現したいものに最速で到達しようとする企みと言えるが、クストリッツァはドリフ的であり、ホドロフスキーは松本人志的である。そして笑いとしては両者とも正直結構な割合でスベってもいると思うのだが、そのスベりの移動量もそのまま映画を駆動させるカロリーとして次々と眼前で消費していく、アートは成功も失敗も内包してナンボなのだ、と言わんばかりのパワフルさに終始圧倒される2時間だ。

自身を演じるのがホドロフスキーの末っ子、父親を演じるのが長男。そして劇中には現在の姿として自らが登場する構造は、父なるものとの不和と和解という青年期のテーマを自らの息子たちに演じさせることで、彼らに同じ轍を踏まぬよう、映画の形を借りて諭しているようにも見え、ガルシア・マルケス「百年の孤独」的な血脈の濃密さで観る者を二重三重に酩酊させる。バカ丁寧に現実をなぞることに終始するのではなく現在の自分が回顧する、編集された過去としての自伝。劇中における唐突な自身の登場は、そのステイトメントでもある。

撮影監督に迎えられたクリストファー・ドイルにどれくらいの裁量が与えられていたかは定かではないが、強調された色彩や、心情をすくいとるカメラの揺れは健在だ。この熱量と美しさを大きなスクリーンで浴びることができる機会に恵まれたことを感謝したい。リアリティのダンスも観なきゃ。

どうでもいいことだけどむっちゃポロリの多い映画だった。
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