ま2だ

マティアス&マキシムのま2だのレビュー・感想・評価

マティアス&マキシム(2019年製作の映画)
4.2

マティアス&マキシム、鑑賞。

ハリウッドに進出した前作「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」ではスケールを持て余し、魅力を減じていたグザヴィエ・ドラン、カナダに戻り監督・脚本・主演・プロデュースを務めた本作は前前作「たかが世界の終わり」のテイストを引き継ぎつつ、人生の岐路をビターかつロマンティックに描いている。

ドラン作品には明確な悪人は登場しない。家族、親子、夫婦、恋人、友人......親密に築いてきた関係性が緊密であればあるほど、些細なことですれ違い、齟齬を生じ、衝突し、遺恨を残す。ドラン作品に特徴的な口論シーンの多さは、上記の関係性に対するドランの懐疑と表裏一体の執着を表していると言えるだろう。

本作では、ひとたび結んでしまえばいつまでも続くかのように思える(思い込んでいる、あるいはふりをしている)関係の輪の中にある変化を投げ込み、「いつまでも」を揺るがしていく手法が採られている。その変化とは第一にマキシムの旅立ち、第二にキスだ。

旅立つ者の動きは残る者たちにさざなみのような影響を与えるし、逆もまたしかりだ。少しずつさざなみが広がり、母と息子、幼なじみたちとの関係性が揺るがされていく様が映画時間の多くを占める。親しき中にも...を地で行く、と言うより親しいゆえの辛辣な言葉の応酬はビターでスリリング、ドランは口論を撮るのが上手い。

今作は「たかが世界の終わり」のムードで男性二人の恋愛関係を描いていると言えるが、恋愛というフォーマットを借りることで、揺るがされ破壊された関係の中から何を拾い上げるか、というところまでリーチできていることが美徳のひとつとして挙げられるだろう。懐疑と同時に執着し、信じているのだ。

個人的にはドランの魅力が戻った、そして更に一歩押し進めた秀作だと思う。男性同士の恋愛ドラマ、というよりは性差を越えて「親密さの終焉と再生」を描いた普遍性を感じる。アホをアホっぽいカメラワークで撮るのはやり過ぎかな?とも感じたけれど。
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