神戸典

エンドレス・ポエトリーの神戸典のレビュー・感想・評価

エンドレス・ポエトリー(2016年製作の映画)
4.8
鬼才アレハンドロ・ホドロフスキー監督の自伝作。芸術的演出と彼の独自の物事の捉え方、切り取り方が素晴らしく、非常に完成度の高い映画に仕上がっている。
彼の真骨頂であるマジックリアリズムがこれでもかというほど訴えかけてくる。

故郷トコピージャから首都のサンティアゴへ移住するシーンから始まる。
冒頭から当時の人々を手作りのパネルで描き、仮面を被った人々を行き交わせる事で一瞬にして彼の世界観に引き込まれた。
カメラワークやアナログを生かした表現で、まるで目の前で歌劇を見せられているような感覚に陥った。

ホドロフスキーの青年時代役を末っ子のアダン、父親役を長男のプロンティスが演じており、家族で脇を固めている。
街でホドロフスキーに群がる人々を犬のように四足歩行でたからせる演出も生々しく生きることに必死な当時の治安の悪さなどがうかがえる。

カフェイリスで店員は年寄りで客は固まったように鬱のような状態をしているのは自分らしく生きていない人々、何かに囚われて日々惰性で生きている人を寓喩的に描いているように感じた。

この作品は鏡に映るものまでも計算して作られている。
鏡に映った自分たちの姿がより第三者の視点で見える事で人間の本質を映しだそうとしているように感じた。

アレハンドロが恋した赤い髪の厚化粧の女は、彼が詠んだ「燃えさかる蝶のように」という言葉の蝶を描いているのだろうか。
赤い髪は燃え盛る炎、厚化粧は妖艶な蝶を表現していて、アレハンドロを詩人として成長させてくれた存在として表現されている。
途中から女に言われるがままではなくなったのは彼が自分の道を歩み始めた事を意味しているように感じた。

詩人のエンリケと出会うシーンでは彼の両親が戦争のラジオを聴いているが、全身真っ白に塗られている。まるでメディアの情報に洗脳され、自らの考えが何もない空っぽの人間のように描かれている。
次のシーンではエンリケの部屋に移り、青一色の壁にあふれんばかりの詩が描かれている。無限の青空に自らを投影させるように自由を広げているという対照的な演出が印象的となっている。

詩人は何者にも左右されずに真っ直ぐ歩くというメッセージを言葉通りに真っ直ぐ進む演出もとても奇想天外だ。

最後のカーニバルではガイコツをまとった死と赤に包まれた生としての炎が共に賛美している。まるで人生そのもののように感じた。
アレハンドロが鏡の自分に語りかけるシーンは、自分の生きる意味を問いただすという演出で最も重要なシーンとなっている。
あらゆる世界の中で誰かを真似て生きるのではなく、老いにさえ恐怖を感じるのではなく自分らしく生きられる。
何1つとして抱え続けるものはない。ただ体1つで蝶のように自由に羽ばたく事こそ人生である。そう伝えているように感じた。

ナチスのイバニェスを讃える人々に仮面をかぶせることで、取り憑かれたように自分の考えを持たない住人の愚かさを象徴している。
アレハンドロは居心地のよかった仲間とも別れ、一人パリを目指す。それは彼自身の生きる道である詩を求める為の決断だった。
どこにも誰にも止まらず、ただ自分が感じた事や道を進む事こそが詩人の本質なのかもしれない。

最後に父親と決別する際にアレハンドロ本人が出てくる場面、父親をしっかり抱きしめさせるシーンは彼自身の父との永遠の別れにおける後悔の念が強く感じられる。
必死に巻き戻したい時間をこの作品で可能にすることで少しでも自分を許すように。
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