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キング・オブ・エジプトのkuuのレビュー・感想・評価

キング・オブ・エジプト(2016年製作の映画)
3.7
『キング・オブ・エジプト』
原題 Gods of Egypt.
映倫区分 G.
製作年 2016年。上映時間 127分。
アレックス・プロヤス監督による冒険スペクタクルアクション。
主人公ベック役にブレントン・スウェイツ、ベックの恋人役にコートニー・イートン。
ニコライ・コスター=ワルドウ、ジェラルド・バトラーらが脇を固める
セトとホルスがエジプトの支配をめぐって争ったエジプト神話『ホルスとセトの争い』を題材にした作品だそうだがよくここまで現代風に広げれたのには脱帽。
マンガ『キングダム』(関係ないんですが)もそうやけど少ない歴史資料から広げれるのは製作陣の手腕にほかならないかな。
余談が過ぎますが、エジプト神話では、セト、ホルス、オシリス、ネフティス、イシスの5人が兄弟であるという話もあります。
意外と評価低っ。

神と人間が共存し、『生命の神』オシリス王の統治により繁栄を誇っていた古代エジプト。しかし、弟セトのオシリス謀殺により王座は奪われ、人々は暴虐なセトに苦しめられていた。
オシリスの子で、王座と視力を奪われたホルスは、コソ泥の青年ベックと手を組み、エジプトの王に君臨するための鍵を握る重要なアイテム『神の眼』を盗み出すべく、困難極まりない冒険の旅に出る。

今作品にはあまり期待していなかった。
故に視聴が今になったのですが、しか~し、とても驚きました。
終わって欲しくないストーリー、長編ドラマで見たいくらいの面白さなのに、終わりかけは寂しささえ感じた。
この壮大なアクション・アドベンチャーは、古典的なエジプト神話にインスパイアされ、人類の存続が危ぶまれる中、予想外の死を免れない英雄ベック(ブレントン・スウェイツ)が世界を救い、彼の真の愛を救うためにスリリングな旅に挑むものでした。
でも、ふとベックは何者やったかと考えたら、『こそ泥』まぁ、ルパン三世もこそ泥やしエエかなぁとは思うが。
今作品古代エジプトを舞台にした、オーバー気味やけど贅沢な冒険を楽しめました。
今作品はエジプトの神々の伝説を巧みに利用した脚本によって神々に命が吹き込まれてるようやし、エジプト神が様々な鳥や獣に変身するのが楽しかった。
これで誰もが、壁に描かれた2次元の絵から想像するのではなく、神々を視覚化することができる。
ホルスが父オシリスを殺され、セトと戦って復讐する物語が生き生きと描かれていました。
この種の映画としては、かなり多くのセリフとユーモアがあるんちゃうかな。
また、映像は壮大で、めまいがするほど幻想的でした。
ただ、都市、寺院、洞窟、墓、ピラミッド、地下世界など、かなり見ごたえがあるのは確かだけど、セットや風景がチョイ派手すぎたり、立て込んたりして、ちょっと気が散るのは否めない。
エジプトの街、特に宮殿などはあまりにもカラフルに作られすぎているし、崖や滝を突っ切るための巨大な高台が多すぎるのも映画やしありかな。個人的にはエジプトはかなり平坦な国やし、ちょっとやりすぎな感がしました。
でも、最終的には、たとえそれが大げさであっても、少なくとも壮大なものには変わりないかな。
また、これまた個人的にですがキャラとキャストに当たりはずれがあるって感じた。
ホルス役のニコラジ・コースター=ワルドーは、善人というより悪人悪どーに見えなくはない。
代わりに悪役のセトを演じるべきだったんちゃうかな。
セト役のジェラルド・バトラーはキャラにマッチしてるが、善人であってほしかったし英語の訛りに違和感があったかな。
オーストラリア人のブレントン・スウェイツとコートニー・イートンは、かわいらしい若い人間のカップルを演じています。
ここでも二人の歯切れの悪い訛りが感じた。
まぁそもそも古代エジプトやし言語はちゃうが。
せやし、日本語吹き替えに変えたら、これは聴けたもんじゃなかった。
声優はやる気あんのかな。
西友の店員のほうが、まだ、やる気・元気・根気はあるやろ。
もっとニュートラルな英語のアクセントの方が違和感がなくてよかったかもしれへん。
これは、キャストが民族的に正しくないという論争と結びつかなくはない。
様々な脇役に超ブロンド女優が起用され、ラー役のジェフリー・ラッシュが場違いであることが一因かな。
チャドウィック・ボーズマンは、主要な話し役で唯一のアフリカ系アメリカ人俳優。
しかし、このキャスティングのミスは致命的な欠点じゃないし、小生の小姑目線が書かせてる嫌なとこで、今作品はそれらを補ってもお釣りがくるほど面白いと云える。
少なくとも、恋敵ハトホル役のエロディ・ヨンはもう少し民族的な適性がありそうだし、なかなか妖艶やった。
戦闘の中には、ちょっと目まぐるしくて定型的なものもあったが(まだ小姑気味、好きやし意地悪したくなる心境)。
まぁ兎に角、エジプトの伝説を使った巧みなストーリーで、壮大な超大作に仕上がっているし、今作品もまた大きなスクリーンで見る価値がある映画と云えるかな。
個人的には好きな題材を巧みに映像化してる今作品には好きな作品の一つになりました。


余談ながら、エジプト神話を徒然に。

今作品のモチーフとなった『ホルスとセトの戦い』セトとホルスの王位をめぐる争いといえばエジプト神話の中で最も有名な話の一つやと思う。
この話ってのは、第二王朝時の争いが元になっているのではないか、という説がある。
このエジプト第二王朝時代は大まかに紀元前2890年頃~紀元前2686年と云う説が有力で、日本においては縄文時代中期とは云え、相変わらず石器や動物の骨を武器にしてた時代。
日本の衣服に関しては原始人スタイルと云えるが、エジプトは現存する織物のドレスとしては世界最古の『タルカン・ドレス』を考慮したら、 
エジプト最古のドレスが実際に使われてた時代が5100年~5500年前と推定されるし、今作品の時代には、現在のドレスに近い形をしてたことになる。
最古のドレスでさえ、ひざ下までのドレスとオシャレやし、日本の神々の登場はせいぜい紀元前667年日本と、2700年ほど、どんなけ文化の違いがあるんかと感じる。
世界の神話に歴史的な原型があると小生は信じてる。
もちろん神話のすべてか過去の真実を表しているわけではないし、幾歳月か経つうちに、事実が形を変え、様々な物語に変化していくことは想像たでける。
時として、既にある神話が歴史による出来事を取り込んで、後世に変化することも在り得るかもしれない。
今作品のモチーフとなった『セトとホルス』は、もともと全く別の地域で信仰されていた神と考えられている。
セトはナイル下流地域、ホルスは上流地域。
第二王朝以前、つまり、古代エジプトの国土が統一された直後というのは、まだそれほど人口も多くなかったと歴史書にはある。
各々の集落はある程度離れてあったはずやし、信仰する神の違う集団同士の接触も、そう頻繁では無かったかと思う。
その違うの神々がなぜ敵同士として争うことになったんやろか。
そもそも、セト神を主神として擁する下流地域の有力者と、ホルス神を主神として擁する上流地域の有力者とが、エジプト全土の派遣をかけて争うことになったと推測される。
エジプト全土を統一した初期の王、今、パピルスなどで分かってんのは二代目とされているが、『ナルメル』は、ホルス神を主神とするグループの出身やった。
この事は『ナルメル王のパレット』に登場する王の守護者が、ホルス神だとされてるから。
そこにはセト神は影も形も無い。
ちなみにホルス神以外に登場するのは、牛の角をつけた女神、つまりハトホル。
この時点では、エジプトの首都」は、ナルメルや、それ以前の王スコルピオンの出身地のナイル上流地域にある。
しかし、第一王朝時代に、治世の利便性を求めてナイル川のちょうど真ん中、メンフィスに都が移された。
結果、ホルスを主神とするグループが、セトを主神とするグループのテリトリー内に移住して、都を築いてしまった。
当然、おいどんたち神様がいっちゃん偉いでごわす、いやいや、ウチの神さんのほうがえらいんやで、といった悶着が起こったと考えられる。
その悶着が第二王朝時代に激化し、王がホルス信仰からセト信仰に鞍替えするといったことも起こった。
王のひとりが、突如、セト・ペルイブセンという名を持って登場する。その王の頃、もっとも宗教対立が激しかったらしい。
どちらの神が王の守護者としてふさわしいのか、というよりどっちの神がエジプトでいちばん偉い神、神々の中の王なんか、という人間たちの争いは、後世に神々の争いとして語り変えられたとしても不思議ではない。
ところで、王の名前や信仰にさえ影響を及ぼしたということは、セトもホルスも、ともに、既にかなりの数の信者を擁する大神やったことが伺える。
まだセトとホルス、どっちが偉いかと決着のついていない時期、神話の中では、神々が80年も協議したと語られている辺りだが、その時代は、セトは決して完全な悪者ではなかったんちゃうかな。
王がセト信仰に鞍替えしたこともあり、セト信者による反乱が成功したこともある。
もしも、その後もセト神が主神とされていたんやったら、悪者となるのは、かえってホルスのほうやったかもしれないし、今作品の主人公は悪者のこそ泥となるし頂けないな。。。
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