新潟の映画野郎らりほう

64 ロクヨン 後編の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

64 ロクヨン 後編(2016年製作の映画)
2.6
【時を越える通話劇】


※前編上映10:00~12:15。そして後編上映が12:15~14:30と、行きつけの劇場が前後編絶え間なしの上映スケジュールを組んでくれたお陰で一気見観賞出来た。
当然、前編感想を纏める暇も無く後編に突入している為、識らず前後編内容が混在した感想となっているかもしれない。
以下後編感想-。


階段を先行して上がってゆく上司三上(佐藤)に物申す為、部下美雲(榮倉)が階段を追いかけ登ってゆく - 上下関係の顕在化。位置/距離化に依って視覚化される立場。階段を登る身体運動が醸す切実な心情。

「簡潔にして寡黙なショットこそが多くを語る」と前編感想では その抑制具合を称えたが、後編に於いても私を惹きつけたのは やはり表情や科白に頼らぬその様な場面であった。

然しこの後編は、物語を纏め上げる必要からか「絵解きな説明に終始した印象」で 、前編にも増し状況説明/心情説明/顔面偏重/表情演技に走っており『如何にも答え合わせな体』が残念だ。



〈総括〉
感想を一言で言うなら『時を越えた通話劇』だろうか。
「犯人を昭和64年に引きずり出す」-松岡(三浦)の言葉通り、本作で〈時を跨ぐ召喚装置〉となるのが劇中頻出する電話機及び電話ボックスだ。
この映画の電話が伝えるのは音声信号などではなく、執念、冀望、そして〈時〉だ。

私には 電話機をタイムマシンとした、精神の -想いの- タイムトラベルに見えた。




《劇場観賞》