モクゾー

LION ライオン 25年目のただいまのモクゾーのネタバレレビュー・内容・結末

2.2

このレビューはネタバレを含みます

実話の良し悪しと、映画的な良し悪しって、違くない??



本作品、非常に批評しにくいものである。というのも、実話ベースである以上、とても素敵な話であることは否定できないからである。
ただ、ここではあくまで「映画としての批評」として考えようと思う。つまり実話としては素晴らしいが、映画作品としてはどうなのか…ということだ。

まず、シンプルにこの映画は、劇映画として上手くないと思う。
映画タイトルがほぼネタバレなので、気をつけることはないかと思うが、田舎の少年サルーが迷子になり、養子に出されて、青年になった頃にグーグルアースを使って、名前も覚えていない故郷を見つけ、故郷に戻る。という実にシンプルな物語構造である。

これを垂れ流しの良い雰囲気の音楽と、エキゾチックな映像で、うすーーく引き伸ばして2時間にしている。
以上、それだけである。


この話を構成しているのは、大きく、迷子になる少年期の無秩序な異世界放り出される冒険物語と、故郷を探す青年期のある種のケイパーもの的解決物語である。

少年期の方は悪くなかったと思う。ありのままのインドが醸し出す異世界感…まさにロストイントランスレーション である。寄る辺なく、理不尽や悪意が満ち溢れる世界。映像も相まって不思議な世界に引き込まれた。

問題は青年期である。
「20年後」と簡単なテロップで時間を飛ばした時点でアレっ…となったが、描かれるのは、ラッキーなことに豊かな家に養子に出されて育った青年が、可愛い彼女を作りのほほんと暮らしていると、ほんのちょっとした会話がきっかけで自分の故郷のことが気にかかりはじめ、そこからは"ドンびくほどの悲劇の主人公"を演じ始めるという話。
いや、お前ずーっと忘れてたんじゃないの?なに、髪伸ばしてダメージ受け出る感じにしてんの?とイライラしてくる次第である。

ご本人の実話の方を知らないので、あくまで想像なのだが、この主人公が「荒れた」のは、演出でつけたフィクションの部分ではないだろうか? 綺麗な女優出して、こういう話にしないと…というプロデューサーのご都合が見て取れてしまう。
事実ベースの映画に劇的なフィクションを混ぜるのは悪くないことだと思うが、本質ではない要素を膨らませることで、作り手は、ずいぶん楽をしたように感じる。


エンドロールに流れる素敵な本人写真を見る限り、サルーは養子に出て幸せに育ったのだと思う。

だとすれば、
(ここから私の理想論だが)

サルーは、異国に養子に出されて、文化の違いにショックを受けつつも、育ての親がだんだんと自分の親だと感じられてくる。しかし、どうしても生みの母や兄のことが心から離れない。自分のアイデンティティがわからないアンビバレントな感情をもったまま育った彼は、グーグルアースなる技術ができたことを知る。
すでに記憶もほとんどないが、これならば…と、彼は故郷を探し始める。
電車の路線、断片的に覚えている地形、言葉…いろんな角度から探していると、周りの仲間たちもそれに協力をし始め…それでも諦め掛けていたその時、ふとしたでタイミング自分の故郷を見つけだす。

というよう、心が"前向き"に故郷に向かっていく物語こそ、この映画のストーリーで最もボリュームを割いた方がいいのではないか?(フィクションを足したとしても)

この映画では、その部分を、20年後というテロップと、彼女と別れたり、一人で地図にピン刺したりしてるだけ…と簡単に"処理"してしまっている。


彼は最終的に愛すべき二人の母を持つことになるのに、劇中では育ての母や付き合っていた彼女を捨てる選択をしたように見えてしまう。この話はそんな本質ではないんじゃないか??

つまるところ、こういった映画的演出ノイズがある分、テレビのドキュメントバラエティ(世界仰天ニュースみたいなやつ)などで30分くらいの尺で、本人映像で見せてもらった方が、よっぽど感動できるのではないかと思う。


…と長文批評をしたが、実話の方は本当に素敵な話だと思うし、毎年8万の子供がインドでいなくなるという事実も衝撃的である。
映画としては好きではないが、この映画の話をみて感動できる人のことは、とても素敵な心の人だと思う。
(なんの言い訳だ?笑)