晴れない空の降らない雨

人魚姫の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

人魚姫(1968年製作の映画)
4.6
 原作どおりのソ連版『リトルマーメイド』。『雪の女王』といいロシア人はアンデルセン童話が好きなのか(ディズニーはあまり取り上げていない)。
 美の結晶みたいな作品。気絶した王子と彼を見守る人魚姫を朝日が照らすシーンの美しさ。「何も見ていないわ、あの人以外は」と歌い踊る人魚姫の美しさ。王子と人魚姫が歩く装飾化された庭園の美しさ、愛の高まりとともに訪れる幻想の太陽の美しさ。シーンの漆黒の衣装に身を包んでこちらに近づく王女の媚びた美しさ。
 それとロシア語の響きと童話の相性が反則的によい。たとえば英語には、このようなノスタルジーの喚起力はないだろう。youtubeで有志の日本語字幕つきで観られる。しよう。
 
 ソ連ではこの頃(1960年代)ようやくテレビが一般家庭に普及したそうで、本作のようなテレビ放送用のアニメーション作品が多数つくられている。さらに1960年代というのは世界中のアートでアヴァンギャルドな表現が追求されていた時代でもある。スターリン時代はディズニーの模倣が強制されていたが、この頃は、主にヨーロッパのそうした流れの影響で、ロシアでも芸術的なアニメーションが復活した。
 
 まぁこの作品はそこまで極端でもなく、有名童話原作だけあって親しみやすいけど、かなり影響が窺えて面白い。例えば、いきなり童話にいかずに、現代の観光客から話が始まるのだが、彼らはUPA風のリミテッド・アニメーションの技法でデザインされ、動かされている。もちろん、そこには風刺もたっぷり込められている。加えて、モノクロ写真がしばしば背景として使われる(また写真それ自体が出てくる)が、これらによって「現実」の世界は味気ない印象を与える。
 他方で、『人魚姫』の世界に入った途端に、海と人魚姫の青、太陽と王子の赤と、画面は色彩がダンスする。キャラクターたちは中世美術(ビザンツ美術)的な、正面と真横しかない造形であり、とくにその相貌の美しさは時折クロースアップされるたびに心が動くほどである。こうして、観客は否応なしにこちらに感情移入するように巧みに誘導されていく。対照的な、人魚姫の味気ない石像のモノクロ写真。そして、それをバックに得意げに語る観光ガイドと、間抜け面の観光客たち。作り手の思いがどこにあるかは一目瞭然だ。
 こうして、観光ガイドの「アンデルセンが生きた懐かしき時代には、愛は存在していたのです」という台詞は、(もっとも直ちに橋の下の魚たちに鼻で笑われるのだが)人魚姫の生き様を通じてだけでなく、視覚的にも説得力を有するのである。
 
 ところで原作がどうなっているのかは知らないけど、この作品は、視覚と聴覚の関係という観点から解釈することもできると思う。王子に与えられた2つの手がかりは、王女の顔と人魚姫の歌だが、記憶が曖昧な王子は当初は人魚姫をみただけで、自分を救った人ではないかと考える。ところが人魚姫は声がないのでこれを証せない。そうこうしているうちに、王子は王女と対面し、彼女こそが命の恩人と確信する。つまり人魚姫と王女のライバル関係は、聴覚情報と視覚情報のどちらが人の心を捉えるのかという対立なのかもしれない。