あなぐらむ

レイプ25時 暴姦のあなぐらむのレビュー・感想・評価

レイプ25時 暴姦(1976年製作の映画)
3.9
長谷部安春監督なりのノワール(犯罪喜劇)だろうか、劇中全てレイプで綴られるセックスバイオレンス。
性のファウストとでも言うべきドラマはやはりクラシックで彩られ、犯す/犯されるという関係性でのみ男女は語られる。監督なりの男とはこういう物だよ、というメッセージだろうか。長谷部組の妖精・山科ゆりがやはり美麗である。
本作では「犯す!」「襲う!」にあった、暴行によって女性が性に目覚める(と同時に自立が暗示される)という部分を削ぎ落としていく。ぐっと前半に男の側がフォーカスされている。それを示すのが劇中のゲイ描写だ。
ロマンポルノにおけるゲイの描写は田中登「牝猫たちの夜」1973の影山英俊がかなり印象的だけれど(彼はこの線の役が多い)、結構な頻度で出てくる。本作は1977年だが、ゲイの三人組がレイプ犯である石山雄大を追い回したりしている。今よりも自由な感じすらある。ジェンダーどうこう言う前に、かつては男色もエスも、暗黙の了解として夜の世界にはあり、それを了解する事で「大人」となり得たのだと思うが、今は先にそれを明示しないといけない不便さがある。それは権利とかどうとか言う事ではないのだ。

主演の石山雄大は後に「あぶない刑事」の鑑識課の安田さんとして活躍。山科ゆりも八城夏子も、岡本麗といった名だたるロマンポルノ女優もここでは後方に押しやられている珍しい男色ロマンポルノ。脚本には白坂依志夫とその弟子・桂千穂。山科ゆりだけやや別格なのはロマンチシズムか。
さて、長谷部ポルノではレイプ犯は作中、必ずといっていいほど断罪される。「犯す!」の蟹江敬三は中盤以降は不能と言ってよく、最後は八城夏子に逆襲される。本作の山口雄大はその武器である口を砕かれ、鶏姦される。「暴る!」の刑事や男達もまた同じ。作品はただ男(の理不尽な行為)を肯定してはいない。長谷部監督は理不尽な世界を突き付けて、女性に奮起を促すのだ。自立を、性を謳歌する事を。

ところで、桂千穂さんは発想が奇抜で有名だが、本作の石山雄大がハンマーで歯を砕かれる所は、自分じゃなく長谷部さん案だと証言している。おっかない。