yoshi

ドント・ブリーズのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

ドント・ブリーズ(2016年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

鑑賞直後は、誰にも感情移入できないストーリー展開が、大変胸糞悪かった。
見たのを後悔するほどに。
しかし日が経つにつれ、興奮がおさまると「自分ならどうするのだろう?」と考えてしまった。
誰の立場で考えたかといえば、私は初老の男なので、当然、劇中の「老人」の立場である。

不況の街デトロイト。
若い女性・ロッキー、若い男性・マネーとアレックスは3人でケチな空き巣を繰り返していた。
若い男2人には、残念ながら同情はできない。
アレックスはスリルを楽しむため、マネーは楽して儲けたいように見えるからだ。
「真面目に働け❗️」と言いたい。

唯一女性のロッキーだけは、ドン底の不幸な家庭環境から幼い妹と抜け出すために、まとまったお金が欲しかった、という目的がある。
しかし、犯罪行為に手を染めるのは、心底同情はできない。

ある日、最後の大仕事として金持ちの老人宅の現金を盗もうとマネーが提案する。

妹とカリフォルニアで新生活を始めたいロッキーはやる気満々。彼女に惚れているアレックスは渋々そのヤマに乗るが、老人は視覚障害者の元軍人、さらに娘を事故で殺した相手からの示談金で大金を得ていたという。

お国のために軍人として出征したイラク戦争で視力を失って退役。
さらには娘も事故で失い、その相手は金で全てを解決した…。

境遇だけ聞けば、老人は哀れな存在だ。
娘を亡くし、示談金で慎ましく犬と生活をしている老人のところに、強盗に入られるというのだから。

まさしく踏んだり蹴ったりの人生。

老人の部屋へ忍び込むと、亡き娘の映像がビデオで流れている。娘への想いが感じられ、3人の非道が強調される。

強盗3人組にとってはまたとないカモだ。
空き家だらけの町で人目はない。
盲目の老人だけに、万が一見つかっても顔を見られる心配はない。
強引に突破してしまえばこちらのもの。

誰がどう見ても余裕とおもいきや、この老人はとんでもない相手であった。
盲目とはいえ、異様に聴覚が発達しており、動物的な危機感地能力を持っていた。
なにより組み合ったらその白兵戦能力は素人では叶わない怪力の持ち主。
歴戦の勇者だったのだ。

その動きは「座頭市」そのもの。
楽して稼ごうとする、世の中を甘く見ている若僧に、お仕置きを加える姿は恐怖を通り越して痛快ですらあった。

老人の能力の高さに逃げ回る前半は息を呑む展開。途中、暗闇になったり、犬が襲って来たりと、変化を付けている。

私は前半、自分に歳が近い老人の視点で観ていたのだが、中盤の意外な展開で、どちら側にも同情できなくなってしまった。

中盤、若者たちが逃げ惑う中、老人が娘を殺した相手、シンディを地下に監禁していたことが発覚する。

しかも娘を奪った代償に、人工授精でシンディを妊娠させ、その子どもを授かりたかったという…。
「なんてことをするんだ❗️」と、あまりに身勝手で、とんでもない逆恨みと、あまりに酷い女性と命の扱いに、鑑賞直後は無性に腹が立った。
見た人の多くがそうだったと思う。

ここで同情的な視点が、「妹を救う」という前向きな生きる目的を持った女性であるロッキーに移り変わる。
強盗であるのだが、何とか逃げて、生き残って、幼い妹のもとへ行って欲しい、と。

始めは老人の反撃と痛快さに興奮し、若者が受ける恐怖にハラハラし、今度は神経を逆撫でさせられる。
脚本と演出の術中にハマってしまったのは、素直に認めざるを得ない。

あの場面で興味深いのは、やはり老人のセリフ。
「神の不在を受け入れれば、人は何でもできる。」だろう。

やはりキリスト教徒にとって神が道徳の指針なのだと分かる。
海外では人工授精は自然の理に背く=神に逆らう行為として宗教問題として語られる。

とことん付いてないこの老人にとって「神は不在」であり、老人自身も「神に見捨てられた者」だと自覚している。

ならば、神の所業である生命の誕生を、自らの手で人工授精でやってのけ「やはり神はいないのだ」と証明したいらしいが、とても許される行為ではない。

しかし、鑑賞後しばらくすると、この老人がとても哀れに思えてくるから不思議だ。

復讐の方向が人ではなく、神にまで到達している。
年老いた身に降りかかった、それほどの怒りと絶望は同情する。

怨みを晴らすと同時に、奪われたモノを取り戻そうとする復讐。
老人が孤独に耐えきれず、考えた末に犯した暴挙に思えてくるからだ。

自分がもしこの老人の立場だったら、どうするのだろう?
とことん、ついてない人生。
大切なものを失った人生。
金があっても満たされない孤独。
やはり、神を怨むのだろうか?
復讐を考えるのだろうか?
老人がしたことは、決して法的にも倫理的にも許されることではない。
例え、子どもが生まれたとしても、どうやって育てるというのか?
命を軽んじる行為は決して許されるものではない。

しかし、この境遇に置かれた時、自分がおかしくならないという自信はない。
老人との鬼ごっこよりも、「ついてない人生の成れの果て」を考えるに至るこの部分に、この映画の本当の恐怖があるのではないかと思う。

私だったら、神の不在を嘆き、自ら死を選ぶかもしれない…とさえ思う。
それすら出来る度胸もないだろうから、泣き寝入りするしかないのか…?
老人は、それに耐えられなかったと考えると哀れで不憫だ。

結果として、老人と戦ってマネーとアレックスは死亡、ロッキーは命からがら金を持って逃亡する。

ラストにカリフォルニアに旅立とうとするロッキーと妹の姿が映る。
このワンカットだけが、この映画の良心だ。

その時、待合室でロッキーは老人の件のニュースを見る。

「盲目の老人宅に男性2人の強盗が侵入。強盗は死亡するも、物的な被害は無し。」

老人が、強盗の一人であるロッキーが存在を黙っている代わりに、監禁していたシンディのことを黙っておけ…という暗黙のメッセージを、ロッキーはニュースから受けとる。

最終的に誰一人、正義感や倫理感では感情移入できない。

強盗に入る若者3人に許される余地はないし、老人の生活を破壊して良い理由はない。

反撃する老人に正義はあるが、途中で明らかになる彼の行為自体には同情の余地はない。

しかし老人が神の不在を口にするシーンあたりから、登場人物達への見方が変わる。

恐怖の連続に変わりはないが、イラク戦争で戦闘でではなく事故で盲目となり、娘を交通事故で失い、加害者は金で釈放されると言う経験を経た老人の心情、正義をなすはずの神を信じる事ができなくなった心情を想像すると、単なる善悪では割り切れなくなり、老人をモンスターとは思えなくなる。

ロッキーが妹に、不公平でも正されないことがある、というような事を説明するシーンがあるが、この作品の根底には、こうした不公平、不平等で理不尽な不幸から抜け出せない状況がある。

恐怖の殺戮が続く老人の廃屋のような家だけでなく、状況的に絶望的な閉鎖空間にどちら側の登場人物も置かれている。

明るい日差し、青い海のあるカリフォルニアへ街から出ていく姉妹は、物語の終わりの救いや希望かもしれないが、その先の世界も同じように神不在の地だとするなら、結局はどこにも救いがない。

物理的な恐怖だけでなく、この抜け出せない絶望感もこの作品の恐怖だ。

鑑賞後の重く苦い気分は、私たちが住む世界も、同じく閉塞した絶望の世界だからかもしれない…。

この短い映画に、ここまで語る義理は無いのだが、それは多分、私が性善説を信じたいせいだろう。
不快極まりない行為をしていたあの老人にもここまでに至る何かがあったのだと。

私は鑑賞後の不快感を埋めたくて、神でもないくせに老人に同情したかったのかもしれない。

ここまで深読みしなくても、単純に、怖くて面白い良くできた映画だった事に変わりはない。

ここまで考えさせられた(ノセられた)演出は、やはり評価すべきだが、やはり不快感が残るので、私個人の評価は控えめにさせていただきます。
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