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まあだだよのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

まあだだよ(1993年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

このコロナ禍で、今年のお盆の帰省は取りやめた。同窓会もお流れとなった。
リモートでの帰省なんか味気ない。
そんな私と同じ思い、同じ事情の人は多いだろう。
この特別なお盆に、ふとこの作品を思い出して鑑賞した。
本作はいわば究極の(延々と続く)同窓会映画だろう。

また巨匠、黒澤明監督の遺作である。
…とは言っても、三船敏郎主演の一連の時代劇のようなスペクタクルやエンタメ性を期待すると肩透かしを喰らう。
多くの人が世界のクロサワにそれを期待していたのだろう…
黒澤作品としては巷の評価は低いのだが、とても心温まる愛すべき作品である。
淡々としてほのぼのとした物語の語り口は、まるで小津安二郎作品のようだ。

そして、「生き方」というモノを考えさせられるのである。

この映画は、随筆家・内田百閒とその門下生たちとの心の触れ合いを描いたものだ。

本作を青年時代に劇場で見たのだが、その頃は、全く面白いとは思わなかった。
おそらくあの頃は本作に登場する教え子の(しかも相当捻くれた反抗期の)立場で見ていたからだろう。
先生(権力者)と馴れ合うなんて、どこか気持ち悪いとすら思っていた。

しかし、同監督作「生きる」と同様に、年齢を重ねた後では感じるモノが違ってくる。
何と自分は煩悩と感情に振り回されたワガママな人生を送ってきたか…と本作を再び年老いた先生の立場で鑑賞し、大いに自分の「生き方」を反省することとなった。

名作「生きる」は死が直前に迫ってから徳を積む男の話だが、主人公の内田百閒先生は日々、愛情を持って生徒に接し、徳を積んできた文字通りの「人徳者」である。

晩年の監督本人が死を身近に感じ、「こうありたい」と願った人物像なのではなかろうか?
年齢を経た私自身も内田百閒先生の生き様を見て「こうありたい」と思った。

主人公が人徳者であるゆえに、ストーリーとしてはそれほど取り立てて大事件は起こらない。
しかし、そこには黒澤明監督自身の言葉どおり「今は忘れられている、とても大切なものがある」ことは確かである。

この映画は昭和18年、内田百閒先生(松村達雄)がドイツ語教員として30数年間勤めてきた大学を退職して、作家業に専念することになったところから始まる。

教師として最後に教壇に立った日、高山という門下生の息子でもある教え子(吉岡秀隆)が百閒先生を称えてこう言う。

「学校の先生をやめても先生は先生です。先生は金無垢(きんむく)です。
混ぜもののない金の塊。本当の先生だという意味です。
先生は僕たちにドイツ語以外になんだかとても大切なことを教えてくれたような気がします。」

百閒先生は教え子たちからいつまでも「人生の先生」として慕われ続ける存在。
そんな理想の教師、つまり人生の師に出会えるのは、時代は違っても誠にうらやましい限りである。

ただ歳を経て思うのは、自分が後陣の良き人生の師になっているのか?
自分がこのように慕われ、先を照らさねばならぬのではないか?という思いである。
内田百閒先生と教え子たちの世代を超えた和やかな交流は、何も学校だけに言えることではなく、家庭や職場でも必要なのだ。

百閒先生が教員を退職しても、高山(井川比佐志)甘木(所ジョージ)、桐山「油井昌由樹)、沢村(寺尾聰)の4人は、しょっちゅう遊びに来る。

引っ越した先の家は、家賃がとても安いが、泥棒が入りやすい家という評判だ。
奥さん(香川京子)は泥棒が入るのを怖がるのだが、そこで百閒先生が編み出した「泥棒入り口」や「泥棒休憩所」など泥棒のやる気を削ぐ方法が笑える。

先生が還暦の60歳になった誕生日を迎えた日は特別で、先生の方から多くの門下生たちを呼んで鍋物をすることになった。
その鍋物は馬と鹿の肉を使ったものなので、まさに「馬鹿鍋」。
百閒先生が肉屋で馬の肉を買っているときに、そこを通りかかった人の連れていた馬が先生の方を振り向いたエピソードもクスクスと笑える。

また百閒先生が暗がりと雷が大の苦手であることを語る場面もおもしろい。

「暗がりが平気だなんて奴は、人間的に欠陥がある。想像力に欠けているんだ」と語るところからすると、先生には普通の人に見えないものが想像力によって見えるのであろう。

この非凡な想像力が映画後半の猫ノラのエピソードにつながっていく。

空襲があり、百閒先生の家も焼けてしまったが、大好きな鴨長明の「方丈記」だけを持って逃げたというのも可笑しい。

奥さんと共に、ある男爵の屋敷のそばにある庭番の小屋に住むことになったが、そこは三畳敷の見るからに狭い部屋である。

この小屋への引っ越しの際にも、例の4人が手伝う。
後日、高山と甘木の2人が先生とお酒を飲む場面では、最後には夜空に満月が出てきて、みんなで「出た、出た、月が〜」と繰り返し歌い始める。
小屋から皆で満月を眺め、酒の肴にするとは何と粋なことか。

物質的には貧しいが、なんとも心は豊かなのである。

「月という、あんないいものがあるのを忘れてましたね」という言葉には私も共感を覚える。
物質的には豊かであるが、人の心は貧しいと言わなければならない現代社会への黒澤監督の警鐘と捉えるべきだろう。

この小屋で先生と奥さんが二人で、紅葉の秋と雪の降る冬を過ごすシーンは、なんとも微笑ましい。
「ささやかな幸せ」というものは、こういうものなのではないだろうか。
物質的な貧しさの中にも幸せは確かにあるのである。

迎えた昭和21年の春、門下生たちによって百閒先生の誕生日を祝う第一回「摩阿陀会」(まあだかい)が開かれた。

まだまだ長生きしそうな先生にちなんで、例の4人が先生の誕生日会をそう名付けたもので、その年から毎年、先生の誕生日に催すことになったのである。
(ただ門下生はそれに託つけて酒を飲みたいだけなのかもしれないが)

この第一回の「摩阿陀会」の場面がこれまたおもしろい。
百閒先生の両隣に主治医の小林(日下武史)と住職の亀山(小林亜星)が座っていること自体がまずもって洒落が効いている。
門下生の一人一人のスピーチもおもしろいし、イイ大人が散々悪ふざけに興じているというのに先生は全く怒らない。
何と心の広いことか。

空襲以来、小屋に住んでいる百閒先生に門下生たちが新しい家を贈ろうと計画していた家が完成すると、そのときにも手伝うのが例の4人である。

百閒先生はその家の庭にドーナツ型の池を作るが、その形にした理由は「狭くて鯉の背骨が曲がらないように」するためだと言う。
また家の離れには池のそばに先生の書斎を作ったが、その部屋の名前も「金閣寺」ではなく、「禁客寺」(きんかくじ)と名付けた。

先生の遊び心がいっぱいの家だ。
その家で百閒先生はノラという名前の猫を飼って悠々と過ごしていたが、そのノラが突然行方不明になる。

そのときの先生の落ち込みようといったら普通では考えられないほどだ。
可愛がってきたノラが、激しい雨の日などにどこかで迷っていることを想像すると、いてもたってもいられないのである。

やはり先生の想像力・発想力は普通の人とは違うのだ。
たかが猫、されど猫、このノラは立派に先生の家族であったのだ。

家族を失った先生は、哀れなほど落胆し、食事も喉を通らない。
暖かいからと言って、風呂場の蓋の上に敷いたノラの布団をなでては泣いているばかりの毎日だ。

そんな先生を心配して、門下生たちが手分けしてノラを探す場面では、おもしろさではなく、人間の温かみというものを感じる。

ノラに対する先生の愛情。
落ち込む先生を気遣う奥さん。
先生夫婦を気遣う門下生たち。
ビラを配ったり、新聞広告にも出したりして、地域の人々の協力も得てノラを探すが、結局ノラは戻って来なかった。

そうこうしているうちに別の猫がその家に住み着き、先生もなんとか立ち直ったが、立ち直ることができたのも、門下生たちをはじめ、地域の人たちのまごころのおかげである。

4人の門下生が来たときに、先生は自分を「皮をむかれて赤裸になった稲葉の白兎」にたとえる。
その「皮を剥かれた私を助けてくれたのは、大きな袋にやさしい心をいっぱい詰めた大黒様であり、その大黒様とは君たちだ」と言い、感謝の言葉を述べる先生。
先生が門下生たちに教えた「やさしさ」は、再び先生に戻ってきたのである。
これ以上の恩返しがあるだろうか。

このノラの出来事があってから十数年後の昭和37年春も「摩阿陀会」が開かれた。
第一回の「摩阿陀会」とともにこの映画のクライマックスである。
先生はやはり年をとったが、同時に門下生たちもそれ相当に年をとった。
今回の「摩阿陀会」には門下生たちの孫まで出席している。
その孫たちが先生のもとに大きな誕生日ケーキを運んだ場面で、先生は子供たちに向かってこう言う。
「自分にとって本当に大切なもの、好きなものを見つけてください。そしてそのもののために努力しなさい。それはきっと心のこもった立派な仕事になるでしょう。」

これは百閒先生のメッセージであると同時に、黒澤監督がこの映画にこめたメッセージでもあろう。

人間はやはり一生涯それに打ち込むことのできるものを持ってほしいものである。
それを求めて努力するのが、その人の人生であり、そういう生活そのものが幸せというものなのではあるまいか。

自らの努力によって自らの文学世界を切り拓くとともに、このような会を門下生たちによって開いてもらえる百閒先生は、幸せそのものの象徴であり、これ以上の幸せはないのではあるまいか。

喜びに満ちた会の最中に百閒先生は突然倒れてしまうが、それを門下生たちが心配して先生の周りに集まってくるのが、またジーンとくる。

「大丈夫だよ」と言いながら先生が会場を立ち去る場面に歌われる「仰げば尊し」は、この映画の冒頭の教室で歌われる同じ歌とペアになっていて、全体を締め括る重要な役目を果たしている。

温かい心を感じさせるとともに熱い涙を誘う場面だ。
門下生の例の4人は体調を崩した先生を気遣って、その夜は先生宅で過ごすことになるが、そのラストシーンもみごとな出来栄えである。

4人が静かに酒を飲もうとしているとき、隣の部屋に寝ている先生の寝言が聞こえてくる。
どうやら先生は少年時代のかくれんぼの夢を見ているようだ。
野原で着物姿の少年たちがかくれんぼをしており、少年時代の先生が藁の中に隠れたかと思うと、あまりの夕焼けの美しさに空を仰ぎ見る。

空には多彩な色で、さまざまな形をした雲が浮かんでいる。
「きっと、この後、先生は極楽浄土へ向かわれたんだなぁ…」と想像させる、とても穏やかで、心の和む、印象的なラストシーンだ。

この映画のおもしろさは、百閒先生の周りに集まる門下生たちの表情が、どの場面においても、笑みを浮かべながら、本当に生き生きとしていることにある。
特に例の4人の表情が最高だ。
世代を超えた心の繋がりというモノを感じさせる。

幸せな「生き方」とは何か?
幸せを与えることではないか?と彼らを見ると考えさせられるのである。

この映画をすでに見たことのある方も、一度見たから「もういいよ」と言わずに、是非もう一度ご覧頂きたい。
私のように新たな発見があるだろう。

また「まあだだよ」という方も、このコロナ禍で、お盆も帰省できず、同窓会も出来なかったという方も多いはず。
故郷を思い出したなら、鑑賞して欲しい。

黒澤明監督のメッセージどおり、この映画には「今は忘れられている、とても大切なものがある。うらやましいような心の世界がある」はずであり、それがこのコロナ禍の荒んだ世の中で、私たちの心をいくらか豊かにしてくれることは確かである。
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