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東海道四谷怪談のyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

東海道四谷怪談(1959年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

夏と言えばホラー映画が見たくなる。
日本人としてホラーの原点は「怪談」。
その原点にして頂点と言えば「四谷怪談」だろう。
Amazonプライムに感謝。これもずっと見たかったがお目にかかれなかった作品だ。
映画の長さは、僅か1時間16分。
それなのに本作は「四谷怪談」そして怪談映画の最高傑作として知られている。

本作は私の「怪談」の原体験と繋がる。
昭和の「怪談」と言えば、講談師の一龍斎貞水である。
(知らない方は調べて下さい。)
迫力ある声と表情、抑揚ある語り口に、照明や道具、音楽という演出を加えた「立体怪談」は、言葉だけのメディアながら、TV放送を見るたびに私はのめり込んでいた。
(今だと稲川淳二他、皆さん真似ている)
悲しみ、恨み、恐怖におののく人物たちを巧みに描き分ける、貞水の芸に魅せられ、怖いながらも幼い頃の私は好んで見ていたのである。

その貞水が得意とする「四谷怪談」といえば、最近の人でもそれなりに内容を知っている人も多いと思う。
それだけ有名な怪談話で、夏になれば「四谷怪談」などを映像化したドラマなどが、昔はよく放送されていたものだ。

本作はその貞水の怪談を彷彿とさせる無駄のない、かつ効果的な演出だった。
つまり、私が幼い頃から頭の中で思い描いていた「四谷怪談」そのものだったのである。
貞水の言葉だけで想像していた物語が、鮮やかに色づき、役者の風貌もピッタリだったことに驚いた。

ただ、久しぶりに「四谷怪談」に触れて「怖くはなかった」と言うと、語弊があるかもしれないが、突然襲われて生命の危険を感じる現在の「脅かし系」ホラーのような恐ろしさではなく、因果応報というか、人の哀れさを描いた作品として「切なく、悲しい」というのが正直な感想。

何と言っても、若き日の天知茂が民谷伊右衛門にピッタリとハマっている。
あの射るような鋭い目つきでありながら、その目を伏せたときに漂う悲しさ…。
とても色気がある。
伊右衛門は女性にモテる男なので、色気がないと務まらない。

本作の天知茂には、後に「非情のライセンス」や明智小五郎を演じた「江戸川乱歩の美女シリーズ」で見られる人生の酸いも甘いも知り尽くしたかのような頼り甲斐はまだない。

プライドが高く、野望に燃えているが、直情的でよく考えずに罪を犯す。
そして自分の犯した罪から逃れようと、みっともなくもがく。
かつ罪悪感を感じており、お岩が化けて出たときに堪らず許しを乞う情け無さ。

カッコつけていても、実はみっともない。
それが人間という「業」の部分であり、悪事を働けばいずれ罰が下る「因果応報」を一身に背負っている。
他の「四谷怪談」映画の伊右衛門と比べても一番のハマり役だろう。

本作の伊右衛門はサクサクと悪事を働く。
恋人・岩の父親に結婚を反対され、キレて刹那的に斬殺。
他人のせいにして、仇討ちと称してお岩と共に江戸へ逃亡。
道中、お岩の妹お袖の婚約者・与茂七を滝壺に落として殺害。
その後、江戸で伊藤家の一人娘を助けたことから、伊右衛門に婿入りの話が出ると、たちまち彼は岩を疎んじ始める。
伊右衛門は薬と称して、岩に毒薬を飲ませる。
また、按摩の宅悦にお岩を抱かせ、不義密通の罪で斬ろうとする…。

本作が他の「四谷怪談」映画と比べて短いのは、伊右衛門の悩みや葛藤を表す情緒的な場面が無いからである。

それらは全て天知茂の憂いを帯びた瞳で表現されるからだ。
「全て悪いのは俺だ。しかし生き残るためだ。許せ」という覚悟や男のワガママが見え隠れするのである。

片や、お岩は徹底的に被害者だ。
伊右衛門の心の内を知らぬ、お岩は確かに酷い目に合う。
化けて出て呪い殺すのも当然だ。

だが、伊右衛門の立場として見てみると、武士としても位が低く、お岩との縁組も勝手にお岩の親が不義理にして、まるで「忠臣蔵」のように、汚く言い捨てられたあとの凶行が原因。
同情の余地があるのだ。
それを見ていた直助に、その後もそそのかし続けられる伊右衛門は「騙された被害者」にも見える。

仇討ちと称して江戸に来たが、身分の差がある結婚をお岩はつい嘆いてしまうし、傘貼り職人に身を窶し、只の貧乏浪人となり果てた伊右衛門を嘆き、イラつかせる。

語弊はあるかもしれないが、何も知らないからこそ、お岩の方にも殺される原因があると匂わせる場面を設けたことで、本作は天知茂の美しくもニヒルな伊右衛門の悲劇として見る事ができるのである。

幼い頃から私の中では「四谷怪談」は可哀想なお岩の怨みの復讐譚だったはずなのだが…。
正直見ていて、悪人であるはずの伊右衛門に肩入れしてしまうのだ。
年齢を経て、ある意味、人間の負の側面も見れてしまうからなのだろう。

本作で最も恐ろしいのは、顔の崩れたお岩が化けて出るシーンではない。
(特殊メイクとローテクな特殊効果だが、それこそ貞水の「立体怪談」に似て、照明と見せ方を工夫した怪奇演出が素晴らしく怖いが。)

ラストシーンだ。
伊右衛門が絶命したことを見届けたお岩の亡霊が元の美しい姿に戻って昇天していくシーンは、哀しみに満ちていて切ない。
そして恐ろしい。
想いを遂げた女の情念とは、かくも美しく見えるのかと。

この映画は本当に出演者に恵まれている。
当時の大スターは一人も出演していない。
それでも出演している一人一人が、まさに適役といえる演技、存在感を見せている。

罪の意識に苛まれ自滅していく伊右衛門を憂いを帯びた眼で演じきった天知茂。
隠花植物を思わせる佇まいで、顔が醜く変形して惨たらしいお岩さんの姿になっても、非常に哀切な感じのする若杉嘉津子。
いかにも小悪党らしいメフィストフェレス的な役割の直助役の江見俊太郎。
低俗で不気味な存在感を漂わす宅悦役の大友純という具合に、一人一人が実に印象的で、実に自然にハマっている。

この映画は新東宝というマイナーな映画会社で作られた。
当然、予算にも恵まれず、悪条件の中で制作されたらしい。
それでも完成した映画は、ハマり役の演者の魅力と必要最小限の大胆な演出により、大作の怪談映画、ホラー映画よりも怖く、儚く、美しい作品となっている。

「四谷怪談」そして怪談映画の最高傑作と言われるのも納得できる出来栄え。
怪談の様式美というモノを堪能出来る作品だった。

本作を今の若い人が見たら「恐ろしい」と思えるだろうか?
因果応報などではなく「出会い頭的な恐怖」のホラーに慣れた観客には「そりゃあ、そうなるよね」で片付けられ無いか不安だ。

「呪怨」や「リング」などを悪く言うつもりは毛頭ないが、人間としてまったく落ち度がない人も巻き揉まれる怖さが当たり前になっている昨今なので…。

追記。
なぜ「四谷怪談」が日本人の心に残る怪談となっているのか?と考えてみた。

それは武家社会の身分制度が大きく関係すると思う。
身分の違いから親の代から目に見えない因縁が絡み合い、その因縁という不可抗力の中で悲劇が繰り返される。

夫に裏切られた妻、主人に故なく成敗される召使など、「無礼討」「切り捨て御免」が許される当時の武家社会では、弱者の法的救済は不可能だ。

この世に救済するルールがなければ、幽霊になって化けて出て、復讐を遂げるしか道はない。
それゆえ日本の怪談は陰惨で救いがなく、後味が何ともいえずに暗い。
そんな日本の怪談の中で、一度は愛した人を「呪い殺す」という怨念の深さが悲しいのが「四谷怪談」だ。

また弱者の復讐と悪人の因果応報が描かれ、最も庶民にウケたのが「四谷怪談」なのだろうと推測している。
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