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地獄のyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

地獄(1960年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

夏になるとホラーが見たくなる。
ようやくこの度、本作を鑑賞出来た。
個人的な話だが、この映画は私の「怖い」という感覚の原体験に繋がる。
長いが、少々お付き合い願いたい。
小学校に上がる前の盆の帰省。
母方の実家には立派な仏壇があり、その両側には右に天国、左に地獄の階層を描いた掛け軸が飾られていたのを見た。

それが私が死後の世界を初めて意識した瞬間だった。
その地獄の絵(日本画調)に描かれた亡者に対する鬼の責め苦がとてもグロテスクで、「悪いことをすれば地獄に落ちる」と祖母から聞き、初めて「恐怖」という感覚を知ったのである。
また、その家には歳の離れた従兄弟がいたのだが、その従兄弟が昔読んでいた少年マガジンが保管されており、帰省の退屈凌ぎに読んだ。
巻頭は連載されていた「ゲゲゲの鬼太郎」の特集ページ。
その中に「地獄」の項目があり、地獄の責め苦が実写写真で載っていたのである。
特にそこにあった顔から下が皮を剥がれた肉と骨の男の写真は、非常に気持ち悪いものだった。

大人になり、私はその画像と偶然出会う。
その画像が本作「地獄」のワンシーンだと知った。
以来、見たいと思っていたのだが、レンタルでお目にかかることもなく、セルも高額。まさか盆の時期に配信で見ることができるとは…何かしらの「お導き」を感じたのである。

この映画、現代のホラー映画に慣れた人なら、恐らく全く怖くはない。
しかし、恐らく夢に出てきたり、私のように「記憶に残る」映画だ。

「死を恐れる」ホラー映画は数あるが、「死後の恐怖」を描いたものはそう多くはないからだ。

冒頭、いきなり死者の入った棺が暗闇に浮かぶ。
ご詠歌が流れ、棺に石で釘がうたれる。
棺は炉に入れられ、焼かれる。
そして紅蓮の炎と共に「地獄」のタイトル文字が浮き出す。
そしてヌードの女と退廃的なリズムの合間に若者の絶叫が聞こえるタイトルバック。
「貴方は煩悩に勝てないでしょう?」と言われているかのようだ。
遺体安置所の死体が浮かぶプールのショットとなり、若山弦蔵の「地獄」を定義するナレーションがはじまる。

「人間いつかは死にますよ。煩悩塗れの貴方が行くのはーそれは地獄だ!」と言わんばかりの悪趣味と不気味さである。

怪談映画の巨匠と呼ばれる中川信夫の「地獄」は、氏の代表作と評されている。
その後、神代辰巳、石井輝男監督がリメイクしているが、そもそも「地獄」をテーマにした娯楽映画なぞ、誰が思いついたのか?
なんと罰当たりなことだろう!
その発想ゆえに映画史に残ったのだ。

製作者の狙いは明らかにクライマックスの地獄絵図なのだが、ただ安直に地獄絵図を見せるだけではない。
前半は地獄に堕ちる人間たちを、徹底的に悪どく、おぞましく描いていくのである。

天知茂扮する大学生・清水四郎は、宗教学を学ぶ真面目な学生。

恩師の矢島教授の娘・幸子(三ツ矢歌子)と婚約中で将来は順風満帆に見える。
ある日、悪魔のような友人・田村(沼田曜一)の運転する車での帰り道、四郎が「そこを曲がれ」と指示した途端、ヤクザをひき殺してしまったのが不幸の発端となる。

ここから次々と不幸の連続が訪れ、不条理に人が死ぬ「生き地獄」が展開する。

罪の意識に苛まれる四郎。
自首しようとするが、妊娠している幸子と同乗したタクシーが交通事故を起こし、幸子は即死。
幸子の母・芙美はそれがもとで発狂。
ひき逃げされたヤクザの母・やす(津路清子)と情婦・洋子(小野彰子)は復讐のため四郎の命を狙う。

洋子がキャバレーで四郎を誘惑し、泊まるホテルの安っぽさと洋子が射つ覚せい剤のショットは当時の世相か?世に蔓延る煩悩か?何とも退廃的である。

母危篤の電報を受け四郎が帰る故郷がまたすごい。
父親は養老院を経営しているが、国庫補助をピンハネした粗雑な雑居房。
その名前が「天上園」とは皮肉すぎる。
しかも罪を負った人間たちが、むさ苦しいなかで共存している。

父親は病床の母親の前で愛人と戯れているし、その愛人は四郎を誘惑する。
四郎の母は医師の誤診で死んでしまう。
養老院の老人たちによる通夜のご詠歌の不気味さ。
ヤクザの情婦・清子は、四郎を吊り橋に呼び出し、正体を明かすが、ヒールでつまづいて転落死。
現場を見た田村は四郎ともみ合い吊り橋から墜落死する。

さらに「天上園」10周年記念の宴の夜、死んだ魚を食べた老人達は全員死亡。
娘を失った矢島教授夫妻は世を儚んで鉄道自殺。
ヤクザの母親が酒に入れた毒で登場人物たちが皆殺しとなる。
何ともやりきれない、まさに「生き地獄」の展開である。

不幸の連続の中に「人間の業と欲」が描かれているのだが、「なぜ、そうなるのか?」と思えるシュールで(不条理で)退廃的な展開。
何かしらの「運命的なモノ」に導かれているとしか思えない。
色味の少ないくすんだカラーの色調と不安定な構図が雑誌ガロのアングラな劇画調のようであるが、恐らく先に発表された本作が影響を与えているのだろう。

「ファウスト」のメフィストフェレス的な役割を果たす田村が故郷に現れてから、映画は一挙に破滅に向かう。
特筆すべきは最後に「死ねぇ〜!」と嗄れた声で四郎の首を締めるヤクザの母を演じた津路清子の迫力。

全体の3分の2が、地獄に堕ちるのための導入部分だが、とにかく見ていておぞましい。

そこからようやく繰り広げられる死後の地獄絵図。
幼少期に見た地獄の掛け軸そのままだ。
広角で見せる「三途の川」「賽の河原」のもの寂しさは水木しげるの漫画を彷彿とさせる。

四郎は、死んだ幸子と、我が子(水子)を求めて地獄めぐりをする。
また矢島教授の戦地での過去や、登場人物たちの原罪が暴かれ、その罪に応じた地獄の責め苦を受ける。

血の池、針の山、釜茹で、鋸引き…
今見れば特撮はチープでアナログだが、早いカット割りで責め苦の痛みを想像させる。
私には幼少期の恐怖が蘇ってきた。
ここで例の「皮を剥がれた」亡者が登場するが、記憶以上に鮮烈だった。
骨の間から心臓が動いているのが見えるビジュアルショックは後のゾンビ映画へ影響を与えたに違いない。

ハッキリとは全容を映さず、暗闇の中に浮かび上がる地獄のビジュアルの禍々しさは、見る側の想像で補完させようという美術スタッフの狙いだろう。
禍々しく、かつ趣きが感じられる。

ラストは三ツ矢歌子演じる幸子とサチ子(二役)が天上から四郎の名を呼ぶ謎のシーンで終わる。
恐らくこの2人には罪がなく、天国行きなのだろう。
そして基本的に直接罪を犯してはいない四郎を天国へ導こうとしているように見える。
三ツ矢歌子はダンテの「神曲」におけるベアトリーチェの役割だったのかもしれない。

幽霊や死後の世界を信じない、または無神論者には全く怖くない映画かもしれない。
しかしながら、「地獄」を見世物にしようとする罰当たりだが貪欲な興行精神と、人間の業と罪悪感を容赦なく描く演出は、見る者の記憶に残るはずだ。
とにかく強烈なインパクトを持った映画だということは間違いない。

追記。
映画「セブン」で描かれたようにキリスト教主義世界では「七つの大罪」を犯した者が地獄に堕ちる。
しかし仏教に於いて地獄に堕ちる基準はキリスト教よりも遥かに細かい。
動物を殺生し、その肉を食べても地獄に堕ちる。
普通に生きていても地獄行きなのだ。
その罪を帳消しにするほどの徳を積まないといけない。

嘘だと思う方は詳しい方がお作りになった「地獄行き診断テスト」というサイトがありますのでお試しください。
https://zigoku.manareki.com/shindan-0

お盆が近づいて、先祖を供養する時期になると、私はあの母の実家の天国と地獄の掛け軸を思い出す。
地獄に堕ちるような罪深い生き方をしてはいけないと。
そして亡くなった祖先の安らかな死後を願うのだ。
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