yoshi

羅生門のyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

羅生門(1950年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

原作は、かの芥川龍之介。
世界に黒澤明の名前を、日本映画の存在を知らしめた歴史的作品。
日本映画として初めてのベネチア国際映画祭でグランプリ、アカデミー賞名誉外国語映画賞を受賞…と、敷居を上げて、硬く考えないで欲しい。
面白いモノは時代を超えて面白い。

「生命の危険」と報じられる今年の夏の暑さに苛立ち、思考回路が停止しそうな日、本作を思い出して鑑賞した。
何回目の鑑賞なのか、思考停止して思い出せないが、すぐに本編に引き込まれてしまった。

どんなに暑くとも、どんなに窮地にあろうとも、人は自分を良く見せたいのだろうか?
いや、思考が止まりそうな暑さの中だからこそ、人間は本能的に行動する。
嘘をつき、見栄を張るのは、人間の本能なのだろうか?

作品の背景は「飢饉」と「疫病」の広がる平安時代の真夏の京の都である。
近年の地球温暖化による気候変動と自然災害、新型コロナウイルス肺炎のパンデミックを考えると、現代にも通じるなぁ…。

自分の都合で嘘をつく登場人物たち。
嘘で自分を正当化しようとしたり、上辺で正義を振りかざしたりする。
実は裏で政治家連中を毎日のように報道で目にするにつけ、今の社会を皮肉っているようにも感じる。
日本だけでなく、コロナ禍が広がる世界のあちこちの国もそうなのかもしれない。
ここも現代にも通じるなぁ…。

時は平安時代の乱世、長雨に羅生門で雨宿りする杣売りと法師の会話から、ある事件が語られてゆく…。
都にほど近い山中で侍夫婦が盗賊に襲われ、夫の侍が殺される。
やがて盗賊は捕われるが、盗賊と侍の妻、目撃者らの食い違う証言がそれぞれの視点から描かれる。

殺人事件の関係者がそれぞれ食い違った証言をする。なぜなのか?
語り部である志村喬が演じる杣売りと千秋実が演じる法師同様に、見る者をこの世の「藪の中」へと引きずり込んでいく。

盗賊を演じた三船敏郎の力強くも滑稽な野性味。
侍の妻を演じた京マチ子が女性の内なる強さや妖艶さ。
森雅之が演じる侍の高貴さが対比となり、美しい妻の前で追いやられた男の無念さ。
全く立場の違う三者三様の演技が見事だ。

盗賊は手籠めにした女に頭を下げて、妻になってくれと求めた情けない姿を隠し、また夫との情けない戦いぶりを隠したかったために嘘をついた。

妻は手籠めにされたまま生き続けるよりも、夫殺しの罪を負って死罪になる方がましだと考えたため、嘘をついた。

夫は妻を目の前で盗賊に手籠めにされたこと。そして、妻から決闘での決着を迫られた挙句に盗賊に敗北した己の恥を隠したかったために自害したと嘘をついた。

なぜ人は見栄を張るための嘘をつくのか?
人間のエゴとはもはや本能なのか?
杣売りと同様に人間を信じられなくなる。

「何事も鵜呑みにして信用せず、己の価値観を磨け」という教訓なのかもしれないが…。

だが、ラストの「羅生門」の部分に、原作の突き放すような結末ではなく、杣売りが捨てられた赤ん坊を引き取るという人間愛を感じさせる結末にしたからこそ、人間賛歌として感動を呼ぶ。

あれだけ「人間は信じられない」と絶望させておいて、最後の最後に、それでも人間を信じたくなる余韻を残すのが良い。
そこが名作たる所以なのだろうと、改めて思った。

大雨は、いつかは晴れるだろう。
羅生門に降り注ぐ雨が上がった後、エゴを知らない無垢の赤子を引き取った杣売りには再び良心の再生が待っているだろう。

コロナ禍と言う長雨が上がった時、私たちの良心が失われていないことを切に願うばかりだ。
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