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七つの会議のyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

七つの会議(2018年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

日本のアニメが世界に誇れるようになってから、漫画原作の実写化が増え、いい歳の大人の鑑賞に耐え得る面白い日本映画が少ないと長い間感じている。
最後の砦は面白い小説・人気作家原作の映画だと思っている。
働く者として池井戸潤の小説・ドラマはすこぶる共感できて面白い。
本作は前情報なしに見たが、非常に楽しめた。

池井戸潤原作の物語の根本は「時代劇」なのだ。
ラストにエンドロールいっぱい使った主人公の長セリフでようやく分かった。(気づくのが遅いですね。)
藩や城を会社に置き換えた「御家騒動」。
盲信的なまでに会社への忠を取るか?
正しいことに声を上げる義を取るか?
この映画は時代劇を現在に焼き直した勧善懲悪の物語だ。
終盤に一気に回収する池井戸節全開の王道の展開が気持ちいい。

日本を代表する大企業ゼノックス。
その子会社である電機メーカー東京建電を舞台に、物語は幕を開ける。
利益優先主義の企業体質は見ていて辛い。
(大袈裟な演出だけど、赤字で良い会社など無い。営業の皆様の苦労に同情します。)

営業一課係長・八角(野村萬斎)は、会議中も、「鬼」と呼ばれる営業部長・北川(香川照之)を目の前にしながら居眠りをするほどの怠け者。

営業一課のエリート課長・坂戸(片岡愛之助)は勤務態度を改めない八角に対し、厳しく当たるが、八角にパワハラとして訴えられ人事部に異動。

一方、八角は自社製品に使われるネジの製造を、委託していたベンチャー企業から古い町工場へと独断で転注。
年間約1000万円のコストアップに経理課課長代理の新田(藤森慎吾)は独自に調査を始めるが、自身の過去の不倫を槍玉に上げられ、東北支社へ異動。

社内一のぐうたら社員八角に関わった者は、なぜか左遷させられてしまう…。

これを不思議に思った営業一課・原島(及川光博)と経理係の浜本(朝倉あき)は、八角の周りで一体何が起こっているのかを突き止めようと動き始める。

前半は謎に包まれた八角の存在と行動を解き明かそうとするミステリー仕立て。
いくつもの謎=伏線が巧みに張られていき、その先が気になって仕方ない。

八角は東京建電だけでなく、世界中を混乱に陥れてしまうかもしれない、とんでもない事件のために動いていた。

八角によって発覚した事件(もしかして、このダジャレの為のネーミング?)とは、東京建電自社製品に使われるネジの強度偽装。
強度不足のネジは椅子を始め、列車や航空機など人命を預かる乗り物にも使用されており、いつ大事故を起こすか分からない。
もし大事故が起これば原因究明の際に必ずバレてしまう。

強度不足のネジが自社製品の何にどこまで使われているかを、八角は調べてリコール製品として世間に知らせようとしていた。

「安全な商品をお届けする」それが企業の正義だと。
(全くその通り!商品に込められた「おもてなし」の精神こそ日本の発展の要因なのです。発展途上国のような欠陥模造品ではいけない!)

しかし、企業側はあまりに莫大な経費が生じるこの事件の事実を、隠蔽しようとする。
八角は自社だけでなく親会社のゼノックス社長・御前様(北大路欣也)まで掛け合う。
クライマックスは、まるで法廷劇の様相。

隠蔽事実だけではなく、八角と北川が同期であった20年前から続く利益優先主義の顧客を思いやらない企業体質が暴かれていく。
この理詰めではなく、情に訴える八角の告白は、まさに時代劇の「お白洲」か、または侍大名のお上への直訴だ。

数々の悪事が八角によって暴かれ、企業の正義であるリコールを、まるで裁判長(時代劇で言えばお奉行様か将軍様)のように鎮座する御前様に懇願するのだが…。

リコールは拒否されてしまう!
「何も起こらなけば、バレない。」と…。
このショックは働く者としては大きい。
何を信じて働いていけばいいのかと。

悪者がいて、それを成敗する正義がある。時代劇で良く見られる勧善懲悪。
その正義こそが野村萬斎演じる八角で、悪とはゼノックス、東京建電の企業体質だったのである。

東京建電はフィクションだろうか?
それにしては、あまりに身につまされる「あるある」ばかりだ。

有給は、労働者としての権利として当然だが、行使すればサボりと思われる。
ノルマ未達成は出来損ないと叩かれる。
会社の不正を暴露するなんて裏切り者のやること…。

「働き方改革」で大分変わったと思いますが、もしかしたら似たような光景は、まだまだこの日本にあるのかもしれません。

優良な企業にお勤め方には、本作はフィクションのように現実感のないものに思えるかもしれません。
そして終身雇用が崩壊している現在、若い世代は思うでしょう。
「そんなにキツイなら辞めればいいのに」と。

それでも社会的責任と義務感を背負い、正しくあろうと、奮闘する日本のサラリーマンの姿には胸を打たれる。
それが池井戸潤作品の魅力なのだ。
それは時代劇でいうところの「忠」と「義」なのである。

それはラストのセリフが教えてくれる。
我々日本人には「滅私奉公」という精神がある。
古くは殿様のため、幕府のため、お家の為に我々は自分を捨てて尽くしてきた。
その精神は、なくなってはいない。

江戸時代よりはるか昔から続くこの気風はいまだ我々日本人の中で生きている。
ただそれが悪いと一方的に断じていいものではない。
戦後、この滅私奉公が高度成長を成し遂げ、日本が発展したのも事実だからだ。

我々、日本人には滅私奉公の精神がもはやDNAレベルで刻まれている。

だからこそ過労死を容認し、法を逸脱した行為をも容認するような事例が起こり、大企業の不正もなくならない。

そんな古い体質が蔓延する社会で、自分の会社だけは違うと言い切れない。
SNSの発展により昨今、個人が情報発信できるようになり、そんな企業体質に苦しめられている方も多く見られる。

しかし大きく成長した企業であればあるほど、名誉と社員の生活を守る責任は重く、利益至上主義になってしまう。
だからこそ不正は決してなくなることはない。

ですが、そんなことがわかりきっていても人間としてやらなきゃならない時というのはくるもの。
本作の主役、やる気のないさぼってばかりのぐうたら社員・八角は、やる時はやるというキャラクター。

企業の為にモーレツに働き、また過去に傷ついた経験を持つ彼を、受け入れられるかどうか、好きか嫌いかでこの映画に対する評価は大きく変わるだろう。
ある程度の年齢のいい大人なら、似たような経験を持つだろうから、八角の気持ちが良く分かる。

「そんなにキツイなら辞めればいいのに」と合理的な考えを持つ人には向かない。
この作品はいい歳の大人の鑑賞に耐え得る作品だ。

八角の最後の長台詞にこの作品のすべてが集約されている。

「半沢直樹」がなぜ面白かったのか?
なぜ幅広い層にあれほどウケたのか?
ようやく理解できました。
この作品は「時代劇」です。
日本人の魂、現代にも息づく武士道精神の忠と義を現代に問う作品。
なるほど、伝統芸能である狂言や歌舞伎役者の演者がよく似合う。

追記。
こういった配役でぜひ時代劇を作ってもらえませんかね?
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