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犬神家の一族のyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

犬神家の一族(2006年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

市川昆監督×石坂浩二の金田一耕助シリーズ番外編。
それが、この2006年製作された「犬神家の一族」だ。
1976年版と同じ台本を使い、石坂浩二だけでなくオリジナルのキャストを随所に配して、あの名作に忠実にリメイクする。
それに一体何の意味があるのか?
その疑問から、私は本作を今まで見なかった。
この度、初めて本作を見て泣いた。
それは物語のせいではない…。

92歳で亡くなるまで現役で活躍し続けた市川崑監督。
文字通り日本映画界を代表する巨匠は、その輝かしいキャリアの恐らく最後を飾ることになってもおかしくない90歳に届こうとしていた時に、敢えて「犬神家の一族」を撮ることを選んだ。
監督自身が30年前に作り上げた、「あの」名作の完璧なリメイクである。

旧作は日本の映画界に於いて、まさに「事件」だった。
旧作が公開されるまでの1970年代中頃は、日本映画は斜陽の状態にあった。
東宝は「ゴジラ」、松竹は「男はつらいよ」シリーズだけが客を呼んでいた。
東映は実録ヤクザ映画が下火になり、「トラック野郎」をシリーズ化して寅さんの真似をした。
代わりに映画で元気だったのは、街角のポスターが顰蹙を買った日活ロマンポルノぐらいだった。

そんな時代に角川春樹は久しく映画界から離れていた市川昆を担ぎ出してきて、この映画を作った。
以降角川映画はこの国の映画史に新しい1ページを切り拓いていく。
あの頃の興奮は今でも鮮明に記憶している。

市川監督の実験精神に溢れる映像を駆使したミステリーは、原作小説を補完し、私たちに映画ならではの魅力と謎と冒険を教えてくれた。
妖しい世界に引き込まれ、金田一耕助とともに戦後の昭和の僻地を旅した。
おどろおどろしい事件と、懐かしい風景。映画ならではの冒険に胸踊らせた。

それが市川昆監督と石坂浩二のコンビによる金田一耕助シリーズのスタートだ。
以降5作品が作られ、その後も市川監督はヒットメーカーとしてあらゆる映画を手がけることになる。

あれから30年が経過してもう一度、市川昆が「犬神家の一族」に取り組む。
なぜなのか?全くわからなかった。

それが、この作品の最大の謎だ。

作品の出来次第では、監督の過去の栄光に泥を塗ることにもなりかねない。
しかも、60代に達した石坂浩二を再び金田一に起用するという暴挙に出た。
これは事件である。

新版の本作は前作との比較から差異を荒捜して、考察すべきだろうが、それはあまり意味を持たない。
筋書きはこの2本は全く同じだ。

もちろん細かい描写や、一部のストーリー展開には違いがある。
しかし、そんなことはたいしたことではない。

全体的に現代の映画とは思えないくらいにおとなしい作りとなっている。
CGも使える時代なのにショッキングな描写や前作で多用したサブリミナルのような細かいカットやザラついたモノクロ映像を挿入するような映像の工夫はあえてしない。
静かに淡々と犬神一族の悲劇を、珠世の佐清への秘めた愛とともに描くだけだ。

旧作と比べ、明らかに見劣りする本作を市川昆監督はなぜ作ったのか?
その謎の答えは、ラストシーンにあった。

この作品は市川昆監督の「遺書」なのだろう。

映画監督としてデビューして60年に及ぶキャリアの幕を引くための文字通り人生の遺書だ。

旧作ではラストシーンで、事件関係者の見送りを避けるため、予定より早い列車に逃げるように飛び乗る金田一。

旧作があれほどヒットするとは、当時は誰も思わなかっただろう。

挨拶もせず金田一が列車に飛び乗り、唐突に終わる旧作のエンディングは、きっと当時の市川昆監督の心境だ。
「色々と好き勝手に遊ばせてもらった。これでヒットしないなら、俺はもう逃げる。見送りなんか要らない。放っといてくれ…。」だ。

しかし、新版の本作のラストは違う。
同じく関係者に見送られる前に、金田一は去る。
去っていった金田一に対して残された人たちは「あの人は天から来たみたいだ」と言う。(このセリフは旧作には無い。)

「放浪の天使」である石坂浩二の金田一耕助と市川昆監督自身が重なって見えてくる。
出来れば監督の手による金田一モノの新作が見たかった。
しかし、市川昆監督は金田一と共にもはや地上に現れない…。
そう言い切っているのだ。
市川昆監督は私たち観客にお別れを言う代弁者に、石坂浩二の金田一耕助を選んだのだ。

新版では、金田一耕助を演じる石坂浩二が、同じ「放浪の天使」であるチャップリンよろしく那須駅への途中の一本道歩く。
ふと、後ろを振り返り、カメラ目線で笑みを浮かべながら会釈する場面で終わる。

どう見ても演技を通り越して、石坂浩二本人が挨拶をしている。

遺産相続争いのドロドロした物語空間から脱却しかし、浄化する役割を担っているのだろうが、私には、あの数秒の無言の会釈に市川昆監督の声が聞こえきた。

「これでお別れです。
今までありがとうございました。
あとは後進の方々に日本映画界をお任せします。
面白い映画を作って頂けるよう期待しております。」
私には、そう聞こえた。

もう市川昆監督の映画は見られない…。
そう思った瞬間に泣けてきた。
(実際にはこの映画の後、オムニバス映画で短編を撮るのだが)

この気持ちは市川昆監督×石坂浩二の金田一耕助シリーズを見た者ではないとわからない寂しさだ。

新たにキャストされた俳優たちには、それなりの新鮮味がある。
古くからの常連俳優たちは円熟味を増し、落ち着いた演技で、作品に重厚感を加え、新たなキャストをフォローしている。

思えば、旧作には熟練と後進の役者によるアンサンブルがあった。
その化学反応が新たな刺激を産むのだ。
現在の邦画にはなかなか見られないが、そんな映画は確実に面白い。

偉大なる熟練の勇退に、観賞後に寂しさを覚えた。
旧作シリーズでは存在しなかったエンドロールの間も、私はずっと余韻に浸っていた。
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