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悪魔の手毬唄のyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

悪魔の手毬唄(1977年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

やっぱり金田一耕助は石坂浩二に限る。
それを実感できるのが本作だ。
石坂浩二自身が、演じた当時を振り返り、語った印象的な言葉がある。
「市川昆監督は金田一を神様や天使のような存在だと言っていました。
たしかに彼は傍観者だとは思うが、それだけでなく運命論者とも思う。」と。

運命論(宿命論)とは、世の中の出来事はすべて、あらかじめそうなるように定められていて、人間の努力ではそれを変更できない、とする考え方だ。

先祖からの血の流れに起因した事件は、あるところまで行かないと片が付かないと思っているのだろう。
金田一はあえて見過ごしているのだ。
それゆえ全てが終わってから金田一は解答を出す。

同時に、普通は事件が起きてから探偵が来るが、金田一の場合は、彼が来てから事件が起きてゆく。
金田一の視点は観客の視点でもあるのだ。
だから彼は決して物語の中には入れない。

金田一は他の探偵と違って未然に防ごうとしない。いや、出来ないのだ。
石坂浩二の金田一の魅力は、事件を止められなくて悔しがるが、その一方で止めてはいけないとも思っているジレンマなのだ。

普通の探偵だと事件が起きても、他人事だと、そんなに苦しまないが、石坂金田一は悩み苦しむ。
その結末がどうなるかを既に見当をつけているにも関わらず、犯人が犯行を行う理由や心情に同情してしまう。
また犯人を説得出来る証拠もなく、何もできない。

良い人なのだが、何もできない部外者。
人間界(物語)に手を出してはいけない(観客と同じ立場である)天からの使い。
その心根の純朴さも相まって、石坂浩二の金田一耕助には、まさに「天使」という形容が似合うのである。

さて、金田一耕助が登場する映画の中で、最高傑作と評価が高いのが本作「悪魔の手毬唄」だ。
2時間23分の長尺ながら長さをまったく感じさせない。
物語の流れに淀みはなく、おどろおどろしいミステリーの展開にグイグイと引き込まれて行く。

シリアスとコメディーのバランスも流石。
ここから金田一のフケ、加藤武演じる刑事の「よ〜し!分かった!」の発声、大滝秀治や三木のり平のおとぼけなどが定番化していく。

今回改めて見て、プロットの見事さや市川崑監督独特のスタイリッシュな見せ方などの事件とは全く別の側面に、鑑賞後に感動を覚えた。

事件を追う刑事と犯人の女性の、双方の悲恋の結末に涙してしまったである。

昭和27年、物語は文明社会から隔離され、古い因習がいまも力を持つ鬼首村に私立探偵の金田一耕助が友人である磯川警部の依頼で村を訪れることから始まる。

磯川の依頼は、23年前にこの村で起こった殺人事件の真相を暴くこと。
温泉宿「亀の湯」の主人、青池源次郎が、恩田幾三という村外の詐欺師に殺害された事件。
源次郎の遺体は顔の判別もつかないほど囲炉裏の火に焼かれ、恩田は今も行方不明。
「亀の湯」の女将であり、未亡人の青池リカを不憫に思っての依頼だった。

やがて、事件の背後に村を二分する二大勢力、由良家と仁礼家の確執が浮かび上がってくる。
そこに村に伝わる手毬唄の歌詞に見立てた連続殺人事件が発生。
被害者は、リカの息子である歌名雄を戦後の男不足のため、婿に迎えようとしていた由良家と仁礼家の若き娘たち。
事件解決を依頼された金田一耕助は真犯人を見つけ出すため、失われた手毬唄の秘密を追うが…。

石坂浩二の金田一耕助シリーズ第二弾。
前作「犬神家の一族」以上に、戦争の混乱で生まれた醜く複雑な人間関係を元に進行する殺人事件。
その人間関係を紐解くことによって解決していく。

本作も横溝作品特有の血縁関係がキーワードとなる為、より物語を楽しむには、まず家系図を書きながら本編を見るとより作品の理解が深まるのでオススメしたい。

事件の全ての発端は23年前。
夫・源次郎と由良家と仁礼家の娘を拐かした詐欺師の恩田が同一人物だと知ったリカは嫉妬と激情にかられるままに夫を殺害。
それを放庵に目撃される。
以来放庵に陵辱され、脅されてきたリカは、放庵を毒殺し遺体を隠す。

実はリカの息子の歌名雄、殺された娘たちは父親が同じである腹違いの兄妹だった。
歌名雄と娘たちがいくら好きあっていても、リカは母親として結婚を許す訳にはいかなかった。
そして自分の娘里子が赤あざを負い苦労している一方で「恩田幾三の娘」は皆美しい女ばかり。
焦りと憎しみを募らせたリカは、彼女たちの殺害に至ったのである。
金田一の推理に自供したリカは警察の目を盗んで逃走、底なし沼に身を沈め自殺してしまう…。

本作は、単なる謎解きのミステリーではない。
残酷で悲しい愛の物語という側面もあるのだ。
そこが評価の高い所以となっているのだと私は思う。
これを見事に表現できたのは間違いなく、岸恵子の存在が大きい。

上品で優雅なイメージを持つ女優だが、この作品では鄙びた温泉旅館を切り盛りする女将のリカ。
不自然ではあるが、質素な佇まいに一際輝く華であり、上品で奥ゆかしい美しさが、違和感なく画面から滲み出る。

愛した男を憎み切れない女の悲しみ、血縁関係とは知らずに、恋人同士となる我が子に対する母親の苦悩…多様な顔を見せ、そのすべてを可憐に演じている。
磯川警部が、迷宮入りした事件に肩入れする気持ちがよくわかる。

なぜリカが手毬唄に見立てた殺人をしたのか?
由良家のご隠居が思い出して歌うが、手毬唄を全て知っているのは放庵だけで、その放庵が犯人だと思わせるためのリカの策略だったのである。
夫の自分の恥と罪を村人に悟られ、それを罪の無い子どもたちに背負わせたくはない母親としての心遣いだったのだ。

しかし、本作の主人公は、間違いなく、そのリカに思いを寄せる磯川警部なのである。
若山富三郎演じる磯川警部の圧倒的な存在感は、同じく捜査する加藤武だけでなく、石坂浩二も完全に食ってしまった感がある。

磯川警部は、迷宮入りした事件を究明することが本当の目的ではなく、夫を殺害された美しき未亡人に惹かれてからこその行動。
この若山富三郎の片想いの純情に溢れる演技が、この作品の一番の見どころだ。

磯川警部は、若山富三郎のキャラクターをより引き立たすことが出来たからこそ、あのラストの印象的な駅での別れのシーンが生まれたのだと思う。

「磯川さん、あなたリカさんを愛していたんですね…」と呟く金田一。
(「そうじゃ」=総社という駅名が映り込むのは、監督の洒落なのかもしれない)

不器用な男の純愛が何ともせつない。
だが、不思議と格好よく見えるのである。

惚れた相手のために時効になってまでも捜査に執念を燃やす刑事が、結果惚れた相手の過去を暴いてしまうことになった哀しさに涙してしまう。

金田一はいつものように傍観者だ。
しかし傍観者ゆえの透明感が石坂浩二は見事にはまっている。
ラストカットは天に登る機関車の煙とともに、それこそ「天使」のごとく金田一は去って行く。
金田一が犯行を暴いたあと、リカは長年心配してくれた磯川警部の胸に泣き崩れる。
金田一は何と悲しい愛のキューピッドであったことか。

派手な視覚的なショックも特徴的な音楽もないため「犬神家の一族」よりエンタメ性は劣っているかもしれない。
しかし、何度見ても泣けてくる金田一映画は、本作だけだろう。

記憶に残る作品とは、最高のスタッフとキャストによって、物語をトコトン理解して丁寧に作り上げられたからこそなのだろう。
本作のような作品を見るにつけ、そう思わずにはいられない。


追記
全く関係ない話だが、この作品の舞台「鬼首村」は岡山県と兵庫県の境あたりの架空の土地らしいが、宮城県に「鬼首」という地名は実在する。
行ったことがあるが、そこは温泉地でスキー場もあるリゾートだ。
ただし、道が細く、急な勾配があり、昔は人を寄り付かなかっただろうことは容易に想像できる。
東北出身の私は、この作品はずっと東北が舞台だと思っていた…が、今回の再見で違うと分かり、ショックだった。
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