せーじ

パターソンのせーじのレビュー・感想・評価

パターソン(2016年製作の映画)
4.6
ヒューマントラストシネマ有楽町で鑑賞。
水曜日の夜の回ということもあってか、普通に満席。かつ、観客は女性の比率が高いように思われた。
ちなみに自分は、ジム・ジャームッシュ監督作品は初見。ライムスター宇多丸氏の批評を聴いてどんな作品なのか興味を持ち、観ることにしたという、完全な「一見さん」。氏のラジオ番組を聴いてなかったら、絶対に観ることはなかっただろうな、と思う。

そんな自分のような人間がこういう作品を観ていると、途中で決定的な出来事に巻き込まれたりはしないかヒリヒリしてしまうという、ある意味「悪い癖」を発露してしまいそうになる。特に「ああ、この作品は”同じ日常”を描いているようで、微妙に違うんだな」ということがわかり始めるあたりから「つまりこの作品って、クライマックスで大きくそれがぶっ壊される瞬間が来るんじゃねぇの?」という勝手な憶測が脳内を駆け巡りそうになって、ちょっと困った(どんだけ普段刺激にまみれた生活を送っているのかという話だが)。

でも、実際にはそうはならない。
この作品はそんな予感を随所に孕みつつも、結局は元ある日常に収束し、一日が淡々と終わっていくだけなのである。それだけなのに、それがなんだかとても居心地がいいのだ。
気がついたら主人公の彼の視点に、考え方に、生き方の心地よさに夢中になってしまっていた。

人はともすれば、わかりやすい刺激を追いかけてしまいがちだ。それは間違いではないし、むしろ当然の欲求だろう。だからこそ人は何かを創り、表現するのだろうし、創られた何かを求めよう、味わおうとする。たとえば彼の妻のように、それをシェアしようと試みるのだろうと思う。
でもこの作品は「だからと言って、刺激の乏しい”ありふれた日常”に、価値が無いなんてことは絶対にない」という考え方を、全力で訴えかけようとしてくるように思うのだ。

「日々を豊かに潤すヒントは、なんでもない日常に、無数に転がっているんじゃないかな?」
「日常がつまらないって、それは単に面白くするヒントが見えていないだけなんじゃない?」
「主人公の彼のように、よく見て、よく聞いて、さがしてごらんよ…ほら、この世界はこんなに豊かじゃないかい?」

と、ユーモアを混じえて優しく語りかけてくれているように感じられた。
しかもそれだけではなく「たとえ表現する手段が奪われたり、表現してきたものが失われたとしても、それ自体が新たな表現のヒントになり得るのかもしれないよ?」という、最強の切り札まで教えてくれるという太っ腹なサービスまでしてくれる。「何かを表現するのに、肩ひじを張る必要なんてないし、焦る必要はない。ただ、注意深く世界を見つめればいいし、それはいつでもどこでもできるんだよ」という、知っていたはずの知見を改めて感じさせてもらえたような気がする。

決して派手な作品ではないけれども、はっきりと自分の心に刻まれた作品になった。自分が取り組んでいる創作活動にも、指針のひとつとして働きそうな予感がする。
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