まあだだよの作品情報・感想・評価

「まあだだよ」に投稿された感想・評価

ちかミ

ちかミの感想・評価

4.0
黒澤明監督の遺作。
内田百閒と門下生との師弟関係を描く。

小学生の時に大好きだった作品で、黒澤監督も内田百閒もまだ知りませんでしたが、内田百閒の自由な精神と根底にある謙虚さ、ゆるい雰囲気が心地よく、何度も繰り返し観ていました。

駄作、古臭い、説教くさい、と評価はあまり良くないようですが、私のセンチメンタリズムを確立させた大切な作品です。
あんな風な生き方がしたい、と純粋に思う。あの時代の人との繋がりはとても羨ましく思い、あのようなら繋がりが築ければいいなと思い候。
黒澤明の遺作。公開当時はあまりピンとこなかったが、最近(歳のせいか)「どですかでん」以降の黒澤作品の良さが感じられるようになった。この作品もそう。内田百閒映画といえば「ツゴイネルワイゼン」だが、こちらも捨てがたい。
現代を生きる自分にとって、本作の劇中の人物たちの心情はまるで理解ができない。

この映画のエピソード自体も、何が面白いのかはさっぱり理解できない。

ただ宗教のような凶々しさはなく、恩師である松村達雄演じる内田百閒の所に押しかける生徒たち。
生徒といっても、おじさんがほとんど。
押しかける生徒たち、主に井川比佐志と所ジョージだが、とにかくひたすらアホなことを言いまくる。
そして子供のように延々と笑い続ける。
そして、酒を飲み続ける。
そして先生をダシにして笑い続ける。

大きく言ってそれだけの物語に、しっかりと、往年の黒澤映画にあるような脇役まで隅から隅に良い顔が並ぶ。

そして「普通の画面」のために費やされた坂道、街並み、バラックのセットの美しさ。

画面を作り込むことと、俳優の演技と。
あとはそれをバッチリと撮る、それだけで映画にしようとしている。

だから、なんの話をしているのかはさっぱりわからかいが、賑やかで穏やかな祭りが展開される。

賑やかだが、まるで水墨画とか、千利休の茶の湯、みたいなシンプルで隙のない映画空間が広がっていて、倒そうとしても倒れない黒澤明の遺作として感慨深い。

追記。
ラストシーンの意味を考えてみる。

不整脈で倒れた先生は自宅に担ぎ込まれ一人で床に伏せる。
奥さんは寝る。
生徒たちは先生の家で酒を飲み交わす。
所ジョージが意味深なことを言う。
つまり、先生が死んだらもうみんなバラバラになるんだから、今日は最後の晩餐、ということなんだろう。

そして一人床に伏せて「まぁだだよ」と寝言を言いながら寝ている。
つまり、死ぬときは一人、ということ。
そして誰にも看取られず一人で最期を迎える…というのは猫だ。とすれば、猫のエピソードあったよなぁ。猫は死神だったんだなぁと気付く。

そして夢の中のシーンもまた、変だ。
「まぁだかい」と呼ぶ声は複数。
「まぁだだよ」と隠れているのは先生の幼少時代。
そんな隠れんぼはない。

つまり、彼は実はずっと、一人だった、ということではないだろうか?
となると、恐ろしいラスト。

人は一人で生きて、一人で死ぬ。
stalkaway

stalkawayの感想・評価

3.0
こういう雰囲気の作品は、往々にして中弛みしやすいが、不思議とスっと最後まで見れてしまうのは、内田百閒の人生が面白みのあるものだったからか、黒澤明のテクニックか、そのどちらもかもしれないが、大変楽しめた。
出てくる役者陣が若い若い。たった四半世紀前だというのに。特に日下武史の若さは目を見張る。寺尾聰が作中喋らないのは、ナレーションを兼任しているからなのか分からないが、少々違和感を感じる。
さて、ストーリーは大きな事件はないが、良い話が多い。一方で話の主軸とは関係ないが、猫のノラがいなくなった際に「既に三味線の皮になっている」みたいな電話がかかってくるシーン。どうやらあれは事実のようで、SNSが流行ったことで日本人の質が落ちた云々と言う声もある昨今だが、昔からあの手のなんの得があってそういうことをするのか分からない頭のイカれた奴がいたものだと、考えてしまった。
教室でのマスターショットが気持ち悪い。美術以外見るとこない。とにかくつまらない。内田百間のイメージアップになったかもしれないが、本の購買欲求につながったのかどうかは、わからない。
自分は内田百閒先生の愛読者である。電子書籍の手軽さが加わって積み本は減らないのに、百閒先生は既読の著作を飽きずに何度も読んでいる。本作は教員時代の目を開けたまま寝ていた学生の思い出話から始まり、泥棒避けや立ち小便禁止の貼り紙など読んだことのあるユーモラスなエピソードが続く。後半には猫の話も。それらが教え子達との交流を軸に描かれる。暖かい話であるがやや食い足りない。

百閒先生に抱いているイメージを一言で表すなら偏屈ジジイ。鉄道好きで知られる先生だが、用事を持たず予定も立てず旅行に行こうと思い立って(実際は全くの無目的無計画とは行かないが)、行き先も名所や温泉は金儲けのためにもてなしてやろうと待ち構えているからと行かない臍曲がり。ドイツ人女性に日光江ノ島箱根の話を振られてどこにも行ったことがないと答えてバツの悪い思いをしたが「絶対に行ってやるものか」と改めて決心したエピソードなど先生の真髄。遅延したのに乗り換え列車は予定通り出発し始めているのに腹を立てて走れば間に合ったものを敢えて走らず(早歩きはした)駅員に苦情を言った後に2時間じっと待ったり、よくこんな屁理屈が思い浮かぶものだと感心する程に借金の妙を説いたりと現代のネット社会であったら大炎上が服を着て歩いているような人だ。自覚はあったようだが無知蒙昧の徒如きに与してやるものかという知識人の驕りがあり、その自意識こそが目的のない旅行に風流を見出しどうでもいい些細な拘りを可笑しく描写する粋に通じている。クリント・イーストウッドや宮崎駿にも通じるジジイの境地。これが許されるのは確かな教養や品性が備わった人だし、それでも身近にいたならうるさいクソジジイだろうが。そういう意味でも本来遠かった人を近くにいると錯覚させてしまったSNSは窮屈かつ無粋。

で、やっと映画の話をすると本作の百閒先生はジジイでなくお爺さんと呼ぶのが相応しい好々爺。借金みたいに困ったエピソードはない教え子に慕われる猫好きの老人。この方が民主的な平成の世には受けが良いのだろうが、ジョニーウォーカーの瓶に入れた模造酒のようでどこか味気ない。黒澤明の遺作なために逝きそうでいて「まあだだよ」とまだ逝かない百閒先生と黒澤を重ねてしまう。ラストカットはそろそろ死を意識していたであろう黒澤の境地として優れているのだと思うが、剛毅な伝説を残した人だけに物分かりの良さより攻めの姿勢を見続けたいと手前勝手な思いを抱いてしまった。

阿らない在り方を見せるのは百閒先生より死んだ後の世話をする予定の亀山和尚。80近い百閒先生が祝いの摩阿陀会で体調を崩した時も食事を続けていて咎められても「まだ死にはせんよ」とどこ吹く風。それと新百閒邸の地主さん。戦災で一刻も早く金が欲しい状況でありながら、隣の百閒邸の陽当たりを一切考えずに3階建てを計画する不愉快な金持ちとの契約は破棄する。両者に共通するのは体面や損得勘定よりも先に来る自意識。百閒作品で度々賞賛される芯の強さ。「民主民主と言いながら威張るは悪い奴ばかり」という宴席での歌がカチリとハマるくらい現代日本が似非民主主義に染まっているのは空気を読む能力ばかり尊重される芯のなさと無縁ではない。うるさい老人になることを恐れて年取る前から縮こまって若年層に媚びているような人は大した奴じゃないですよ。自分を持てない人間は無様だし尊敬もされない。エゴを貫いて名を残した人からは得られるものがある。
わりに

わりにの感想・評価

4.5
ああ暖かくていいなぁ。歌がいい。

好きなシーン
最初の教室
泥棒
馬と目が合う

kz

kzの感想・評価

5.0
黒澤明監督の全30作は、今作が彼の遺作となったことで永遠の命を得た。

今作の完璧なラストによって、黒澤作品群は見事な円環を描くことに成功した。

「もういいかい?」
「まあだだよ」

彼の『夢』は終わらない。
黒澤の遺作。直球の人情物で戸惑います。笑
黒澤は捻くれたおじいちゃんですね。
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