…そんなフランソワ・オゾン。正直、一作一作にそんなに強く想いを込めるようなタイプでは無いと思うのだけど、今作はおそらく初のモノクロ作品だったりしまして、何か思うところがあるのか?でも過去には一本だけ急にファンタジー撮ってたりもするので、単なる思いつきなのかな…?
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1919年。第1次世界大戦終戦後のドイツの街、クヴェードリンブルグ。
黒いコートにつばの長い帽子を被った、綺麗ではあるがどこか影のある女性アンヌ。
市場で鉢植えを買い墓地に向かう。そこには戦死した彼女の婚約者フランツが眠っている。
フランツの墓にはアンヌの覚えの無い花が手向けられており、墓地の管理人に話を聞いたところ、フランス人の男が備えていったのだという。
アンナはフランツの父ハンスが営む診療所でフランツの両親と一緒に暮らしている。ハンスはここのところずっと気が滅入りがちで引きこもってしまっている。
ある日ハンスの元をフランス人の青年が訪れる。当時、既に終戦こそしているもののフランス、ドイツ両国間の国民感情は険悪で、息子を戦争で亡くしたハンスも例外では無く、何か話を切り出そうとするフランス人青年を怒鳴りつけ追い返してしまう。
墓地の花の事もあり、アンナはそのフランス人がフランツの知人なのではないかと考え、父を諌め改めてその青年を家に招待することにした。
青年の名はアドリアン。元兵士。フランツがパリにいた頃の友人だと言う。アドリアンはアンヌとフランツの両親に、パリでのフランツとの思い出を話して聞かせた。思わず落涙のハンス…。
アドリアンは、フランツの記憶と共に一家に暖かく迎え入れられる。フランツと一緒に演奏したというヴァイオリンを弾いてみせたり、アンナに誘われて二人で出かける事もあった。ハンスは徐々に元気を取り戻し、またフランス人に対する怨みも乗り越えられたようだった。
ある晩、約束の夕食の席にアドリアンが現れない。方々探し回ったアンヌはフランツが眠る墓地で佇むアドリアンを見つけるが…。
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とても端正で、クラシカルなフランス映画的な体裁なのに驚きました。いや、勿論“自分の節穴EYEで見て”の話なので違う意見の方も大勢いらっしゃいましょうが。
シンプルなストーリーを、一番飲み込みやすく素直に撮ったという風で、いつもの悪意も突き放しも感じられませんでした。というのも、おそらくこの物語のテーマは“嘘・虚構”。物語を作る者としては職業倫理的にきっと自ずと背筋が伸びてしまいますよね。
事の始まりのアドリアンの“嘘”は決して小さく無い。到底許されないような物かもしれないけれど、残酷な真実より、その嘘によって救われた者がいるのも事実。
アンナの嘘は、比べれば然程大きくなかったが、告解の席で重ねてしまった嘘でいよいよ後戻り出来なくなった。ひょっとすると無意識に自分を騙していたのかも知れないけれど。
そうして、少しずつ、“嘘”で取り繕ってきてしまった二人は、もはやお互いの中の真実を見つめ合うには足元が不安定になり過ぎてしまっていて…。
ラストの、アンナの表情が本当に素晴らしい。マネの絵画の中の真実と向かい合う、彼女の心に去来するものは?…こういった正解が明確に提示されない事柄に思い巡らすのが、フランス映画の楽しみの王道だと思います。オゾンの野郎…。
アドリアン役のピエール・ニネ。出演作が全然日本に入って来てなくて、『イブ・サンローラン』も未見なので、動いてるところ初めて見ました。まあ、なんて整ってるんでしょうねぇ。睫毛!!憂いと誘い系の色気が永久機関みたいになってますよ。あーヤバ。
アンナ役のパウラ・ベーア。名前が北極熊みたい…は置いといて、動きの小さい役柄なのですが、シーン毎に内面の変化が顔に滲み出て、その都度まるで別人みたいに見えるのですよ。役とのシンクロっぷりが凄い。こちらもまだ日本で観れる作品少ないのですが、今後もチェックが必要ですね。
作中、何度か小さく「…ぁ」くらい驚く演出が有りまして、ここの規則性考えたりするのも面白そうです。テクニカルなのは間違い無いのですが、策に溺れたりせず真正面から良い作品・繰り返し観られる作品を作ろうとしているのが伝わって来るようでとても好印象でした。とにかく心理の動きを丁寧に描いてる。後半〜終盤の、アンナの心持ちを想像するだけでハラワタが燃えながら裏返りそうです。あるあるあるある!!!“キスシーン”の瞬間をこんなに直視できなかった作品はちょっと記憶に無いですね…。
まあ、そんな感じで、シンプルなストーリーを丁寧に織り込んで、最後まで奇をてらわず美しく閉じる。…うーん。傑 …作なのかな。
個人的にはオゾン作品では『ぼくを葬る』に次いで気に入りました。…でもなぁ。オゾンかー。オゾンなぁ。オゾンもなぁ…。