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ドラゴン・タトゥーの女のyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

ドラゴン・タトゥーの女(2011年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

男は女を守るのが役目。しかし酷い男もいる。女性は痛みに強く、酷いことをされても、我慢して言いだすことができずに泣き寝入りしてしまうことが多い。性と暴力の被害者は増える一方で、全ての事件が表に出ることはない。この「ドラゴンタトゥーの女」リスベットは、か弱き女性にとって新しいヒロイン像に見え、新鮮だった。

ミステリーでもありながらも、一人の寂しい不幸な女性の切ない恋心に心を打たれる。

極めて寂しい独身時代を過去に送った私は、彼女の境遇と心境の変化に同情し、彼女の行動力に喝采を送ったのである。

物語は一見、なんの関係もない二つの話が見事につながっていく。
面白いサスペンス映画というのは、一旦、人の心を掴むと最後まで離さないものだ。
始まりは、二つの物語が同時進行する。

1つは、大物実業家に訴えられ、会社ごと潰されそうになっているジャーナリストが、田舎の富豪の私的な調査を請け負う話。
もう1つは、1人の寂し気な女性ハッカーが、法的後見人にレイプされ、その復讐を遂げようとしている話。

この一見、なんの関係もない二つの話が、見事につながっていく。
私は、この序盤で、心を鷲掴みにされて、すっかり引き込まれ、見事につながった時には、身を乗り出して観てしまった。

ジャーナリストのミカエル(ダニエル・クレイグ)は、大物実業家の不正を暴く記事を書くが、名誉棄損で訴えられ、裁判で負けてしまう。

慰謝料の支払いで破産するかと思われた時、田舎の大富豪から、40年前に一家から失踪した女性について調査して欲しいという依頼を受ける。

財政的に受けざるを得なかったミカエルだったが、事件を調べていくうち、一人では手に追えないことがわかり、一家が推薦する調査員をアシスタントとして雇うことにした。

その調査員はリスペット(ルーニー・マーラ)という天才ハッカーで、背中に大きな竜のタトゥーを入れていた…。

この話に引き込まれてしまうのには、ワケがある。
この映画に登場する主要な女性たちに、幸せな女性が一人としていないことである。
不幸な女性たちによる復讐の物語なのだ。

「ドラゴンタトゥーの女」リスベットは父親の暴力を受けて育ち、そして、その父を殺し、精神障害と言われ、後見人からレイプされるという壮絶な人生を送っている。

他人とのコミュニケーションをとるのが苦手で、幼少の頃より、イジメや偏見の目で周囲から見られ、過酷な環境で育ってきたことは想像に容易い。

おそらく部屋に引きこもって、辛い現実から離れ続けた結果、身に付けたのであろう秀でた記憶能力とコンピューター操作。
没頭するあまり、寝食を忘れたであろう痩せ細った身体。

情報収集能力に長けた彼女は、雇われ調査員の仕事で生計を立てている。
それしか生きる術、スキルがないからだ。

好奇の目から自己防衛する為に、厳ついパンクロック姿に身を包み、終始うつむき加減で、繊細さと内に秘めた狂気とを、ルーニー・マーラは文字通り体当たりの演技で熱演していた。
映画の前半で女性として辛い仕打ちに遭う彼女だが、その彼女が反撃に転じるところは、「よくやった!」と言わずにはいられない。

そして、ミカエルが調査するハリエットも父と兄から日常的に暴行を受け、従妹の協力で彼らからの脱走を計画した。

そのハリエットの人生を知ったリスベットは、まるで彼女の代理にでもなったかのように、ラストで犯人のマルティンを制裁しようと追い詰める。

この映画は、愚かな男たちにつらい過去を背負わされた女性による、復讐の物語でもあるのだ。

しかし、この映画がとても印象的なのは、その「ドラゴンタトゥーの女」リスベットが復讐を果たした後、「女としての幸せ」を手に入れようとし、好きな男の復讐すらも果たそうとする事件解決後のエピソードにある。

ミカエルと共に調査をし、彼に惚れてしまったリスベットは、「恋する女」のごとく彼のために、彼を破産寸前まで追い込んだ実業家を、今度は破産に追い込んでいく。

ハリエットの復讐で終わったかと思った事件が、思わぬ方向へ進んでいったから、ここから先の展開がとても印象に残っている。

あんなに血みどろの事件だったのに、最後は純愛で終わるなんて、何とロマンチックなのだろうか。

しかし、悲しいことに不幸な女に幸せは訪れない。
すごく複雑なのは、リスベットには幸せになって欲しいと思うのだけれどもミカエルと巷のカップルのように同棲や結婚生活を営む姿は似あわないというか、観たくない心境なのだ…何故だろう?

不幸な女は不幸なままなのか…
それが、すごく切ない。
手に持っているミカエルへのプレゼントを捨てて、バイクに乗っていくリスベットの後ろ姿が、実に切ないエンディング。

どうしても幸せになれない女性の生き方と、幸せが似合わないと自覚している、遣る瀬無さ。
その切ない物語の余韻が、孤独な生活を経験した私には、かなり後を引くものだった。

主役のジャーナリスト、ミカエルを演じるのは、ダニエル・クレイグ。
説明するまでもなく、6代目ジェームズ・ボンド。
自信満々のジェームズ・ボンドをやっていない時のダニエル・クレイグは、恋人に仕事に翻弄され、生きるために精一杯に働く普通の男を演じることができる確かな演技力を持っている。
そのボンドとのギャップがセクシーに映る。

そして、ミカエルと共に事件を調査するリズベットに、ルーニー・マーラ。
恥ずかしながら原作小説は北欧の人名を覚えきれず断念したが、原作小説のあの痛々しい特徴を体現しているのが、デニーロアプローチのようで神がかっている。
ノオミ・ラパスが演じた過去作より、原作の前半で描かれる「小柄で細身の少年のよう」という雰囲気に近いイメージだと思う。

知的で、怖くて、好きな男の前ではかわいい。
それが良く現れたのはミカエルとのSEXシーン。
犯人に狙撃され、恐怖に怯えるミカエル。
他人とのコミュニケーション能力が著しく欠けているリスベットは、突然服を脱ぎ、ミカエルに股がる。
ああすることでしかミカエルを精神的に落ち着かせることが出来ないという、ある意味悲しい場面でもある。
動物的本能でしか他人とのコミュニケーションをとることが出来ないリスベットの悲しい部分を描いた重要な場面であり、だからこそ、映画のエンディングでの失恋場面がとても切なく感じられる。

レイプされるシーンよりも心に残る、悲しいラブシーン。(モザイクのデカさが気になるが)
この映画を観て、ルーニー・マーラの映画は必ず観たいぐらい、興味ある女優となった。

監督はデヴィッド・フィンチャー。
(次世代のスタンリー・キューブリックであると個人的には思っている。本人はそんな形容は嫌いだろうが。)

「ゾディアック」に見られた田舎の閉塞感、「セブン」に見られた殺人犯やレイプ男の薄気味悪さ。
あの胸が悪くなるような事件の後のどんでん返しと悲しい純愛は「ベンジャミン・バトン」のストーリーテリング。
この時点でのデヴィッド・フィンチャーの集大成である。
既視感があったのは過去作の雰囲気を持っているからだ。
何よりあの複雑な原作小説をこの時間内にまとめた知性と手腕は天才的。
(私は原作小説を断念した頭の悪さなので、尚更そう感じる。)

次回作が常に期待出来る映画監督なので、暴力描写から離れた作品も製作してほしい。

ドラゴンタトゥーの女は、か弱い女性たちの新しいヒロイン像。
この考えに至るまで、この映画を3回見た。
1回目はストーリーを追うので精一杯。
2回目は事件の繋がりを整理できた。
3回目でようやく、登場人物の心情を追うことが出来たのである。

リスベットは力が強いわけでも、特殊な超能力があるわけでもない。
生きるために得たハッキングという能力を生かし、手に武器を持って、立ち上がっただけ。

か弱い女性の方々が、リスベットを見習って、性犯罪被害にあった時は、自分の持てる能力を存分に発揮し、武器を手に立ち上がり、相手に復讐することこそが、性犯罪を減らすきっかけになるのかもしれない。
そんなことを考えた。

女性が見るべき映画だと思った。
ただし、この映画は陰惨な暴力描写もあり、耐性の無い女性にはお勧めできない。
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