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ウインド・リバーのumisodachiのレビュー・感想・評価

ウインド・リバー(2017年製作の映画)
4.5
ワイオミング州ウインド・リバー保留地。雪の中で1人の先住民少女の死体が発見された。暴行され、裸足で倒れていた少女に何があったのか?かつて先住民と家庭を持ち、今は同じ土地でハンターとして暮らす男と、捜査のためにやってきたFBIの女性が真相究明に乗り出す。

荒廃した土地に強制的に連れてこられたアメリカ先住民たち。多くの保留地は貧困に苦しみ、アルコールやドラッグに溺れる者も多いという。自治権が与えられているということは、つまり中央が徹底的には守ってくれないということでもある。ある殺人事件を題材に、アメリカが抱える深い闇を容赦なく描いた作品だった。

「その死因では、私は呼び戻されてしまう」
「軍に入るか大学に行くかすれば、ここから出られたのに」
「やり方を教えてくれる人がいなかったから」

内容を見ていないとチンプンカンプンだと思うが、これらのセリフはすべて先住民保留地が抱える問題を反映している。最低限しか関わらないという政府の姿勢。軍に入るか、頑張って大学に行くかしか(奨学金を受けるのは並大抵の努力では不可能だろう)、若者が街を出る手立てがないという現実(兵士になるネイティブアメリカンは非常に多い)。暮らしていた場所から遠くまで無理やり強制連行されたという過去のため、部族の伝承も薄まっているという悲しさ。ふとしたセリフのあちこちに、様々な事情が表れている。

本作は明確に復讐の物語でもある。だからこそ、なぜ主人公がネイティブアメリカンではないのか?という疑問が頭をもたげる。どう考えても、被害者の父親の稼業がハンターで、彼が主人公だとした方がシンプルだろう。複雑な事情で共存する白人なんていう、まどろっこしいキャラクターにするよりも。

しかし私は、そこに監督の誠実さが表れていると感じた。「自身がネイティブアメリカンではないから、当事者の視点そのものでは語れない」という感覚があるのかなと。『ゴールデンカムイ』の主人公もアイヌではない。『パッチギ!』だってそう。『焼肉ドラゴン』のようにはいかないのだ。マイノリティの状況や気持ちを知れば知るほど、「自分には計り知ることができない苦しみや想いがある」と痛感するのかもしれない。

ジェレミー・レナ―演じる主人公は、ネイティブアメリカンと共に暮らし家庭まで持ったが、ネイティブアメリカンではない。白人だ。そういう意味では、被害者の父親とは違う。しかし、「娘を失ったという経験を持つ」という点では、被害者の父親と同じ。また、FBI捜査員(若い女性)は、おそらく家庭すら持っていないし寒い地域の生活すら知らないが(フロリダ出身)、最後に被害者女性との共通点を見出す。人間は様々な面を持っている。何を基準にするかによって、内側/外側は変化していく。

それでもやはり、主人公たちはネイティブアメリカンにはなれない。絶対に。主人公たちはあくまでも"白人"であり、マジョリティだ。

『ウインド・リバー』で描かれるものは、過酷そのものだ。残酷で、やるせなくて、荒涼としている。真実が明らかになったところで、その理不尽さに絶望するだけだ。容赦がない。そして、主人公たちがどんなに彼らのために尽力しても、感謝されたり涙の抱擁を受けたりすることはない。主人公たちも、そんなことは望まない。『アバター』みたいなことは起こらない。

我々は、目を逸らしてはいけないのだ。決して仲間と認めてもらえなくても、容易には信じてもらえなくても、感謝などされなくても。それでも彼らの現実を、彼らが置かれている理不尽さを直視し、自問自答しないといけないのだ。自分たちの祖先が何をし、何を傷つけ、何を奪ったのか。そして、自分たちは現在彼らから何を奪い続けているのか。すべてを見つめる努力なくしては、解決などあり得ない。上映中ずっと、私はそう言われている気がした。

最後に。これがネイティブアメリカンだけに当てはまることではないのは、言うまでもないだろう。『ウインド・リバー』はアメリカの歴史の闇を抉り出した作品であると同時に、すべてのマイノリティに捧げられた作品だ。
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