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午後8時の訪問者のKKMXのレビュー・感想・評価

午後8時の訪問者(2016年製作の映画)
4.7
 やはりダルデンヌ兄弟は自分にフィットします!今回もバッチリとハマりました。

 看護師もいない小さなクリニックで院長代理として勤務するジェニー先生。ともに働いているインターンのジュリアン君とはしっくりいってません。先生は熱心ですが、ジュリアン君にはマウント取りがち。そのためジュリアン君は不貞腐れてます。
 クリニックが閉まった午後8時過ぎにベルがなりました。ジュリアンは出ようとしましたが、ジェニー先生はジュリアンを制止しました。翌日、近所で移民の少女の死体が発見されます。防犯カメラを照合した結果したところ、クリニックのベルを鳴らしたのが亡くなった少女であることが判明します。
 ジェニー先生は罪悪感に苛まれます。彼女がドアを開けなかった理由は、診療時間外だったからではなかったのです。ジュリアンに力関係を示すためでした。つまり、つまらないマウンティングの結果、ひとりの少女が亡くなったのです。そしてジェニーはこの事件にコミットしていく…というストーリー。


 これこれ。これですよダルデンズ。自分を誇示するだけの浅ましい行為がきっかけになっているが故に、ジェニー先生は本件を有耶無耶には出来ないのです。これが人間の良心に焦点を当て続けたダルデンヌ兄弟の真骨頂です。

 そしてこの事件をきっかけに、ジェニー先生は自分を見つめ直していき、良心に従って生きるようになっていきます。ジェニーは大きな病院のドクターとして就職が決まってましたが、これを機にクリニックの院長を継ぐことに決めました。
 クリニックは貧困層を受け入れているため儲けもないし、スタッフを雇う余裕もない。だからジェニーは大きな病院に勤めたいと考えたのでしょう。一方で、クリニックの仕事はかなりやり甲斐があるし、意味がある。患者との距離も近いし、往診もするから地域と密接している。ジェニー先生にめちゃ感謝して歌をプレゼントする若者もいました。
 意識の上の方(損得勘定)では大きな病院、意識の下の方(ほんとうにしたい生き方)ではクリニック。ジェニー先生の意識の構造はこんな感じだったと思います。

 ジュリアンとの関係にもそれが現れています。この一件の後、ジュリアンは医者になることを諦め、地元に帰ってしまいました。
 ジェニー先生は辛抱強くジュリアンに語りかけます。己の浅ましい行為を詫び、再度医者に戻るよう訴えます。ジュリアンはほとんど彼女を無視しますが、ジェニーは諦めずにジュリアンにコンタクトを取ろうと試みます。そして、ジュリアンの地元まで行き、ついにジュリアンの本音を引き出せたのです。その結果、ジュリアンも再び自分の良心に従って人生を選択できるようになっていきました。


 『サンドラの週末』以後、ダルデンヌ兄弟はより正の循環を意識した作風になっているように感じます。『ロゼッタ』『ある子供』ら初期〜中期の作品よりもより人間讃歌の要素が強まっているように感じます。
 そして目立つようになったのは、諦めない大人像。良心を信じて人間を信じて相手と辛抱強く関わる。『息子のまなざし』のオリヴィエおじさんの時からその像は提示されてましたが、最近の作品はより明確に描かれるようになりました。

 抱える・堪える・それでも諦めずに関わる・信じて待つ…ダルデンズの大人像からは、効率ばかりを追い求めて欲求のみを満たそうとする現代において、まったく注目されてないが故に最も必要なエッセンスがこれでもかと描かれています。
 だから、本当に深く感動するんですよね。事件にしっかり関わると決意してからのジェニー先生、めちゃくちゃ魅力的で爽やかですから。俺もこう生きたいと心から願います。こんな大人になって行きたいですね!相手を信じて待つ・返ってこなくても関わり続ける意味での辛抱強さを持ちたいと思います。


 本作はサスペンスタッチですが、もちろん本作の核は良心に沿って生きる・正の循環です。ただ、サスペンスならではの謎解き展開があるので、ダルデンズにしては長尺になってしまった。例えば常連のグルメおじさんのキャラはサスペンス的には必要でしたが、良心と正の循環においてはさほど大事な存在ではなかった。いつもは無駄を削ぎ落とすダルデンヌ兄弟ですが、今回はそうもいかず、若干もどかしかったです。

 エンディングでは、車の排気音など街の雑音が少し聞こえました。それもまたシビれましたね。いい感じでバンと終わって静寂エンディングを観ると、これこれ!これぞダルデンヌ兄弟って思いますね!
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