ココ、言葉を話すゴリラの作品情報・感想・評価

ココ、言葉を話すゴリラ1978年製作の映画)

Koko, le gorille qui parle

製作国:

上映時間:85分

3.2

「ココ、言葉を話すゴリラ」に投稿された感想・評価

一般的にはバルべ・シュローデル(バーベット・シュローダー)の名前はミッキー・ローク主演の『バーフライ』の監督か、『パリところどころ』の企画者か、あるいはヌーヴェルヴァーグ運動の周囲になんかいた人、みたいな認識だろう(それよりマニアックな方は『モア』やピンク・フロイドが音楽をやった『ラ・ヴァレ』の監督としての認識か)。まあどのみち「名前はしばしば耳にするけどなんだかよく分からん人」なのは間違いない。

そんなシュローデルが『ココ、言葉を話すゴリラ』なるドキュメンタリー映画を撮っていたのをこのル・ステュディオのチラシで初めて知ったので無料だし行って来た(撮影がなんとアルメンドロスだ)。ちなみにこの銀座メゾンエルメス/ル・ステュディオのラインナップは毎回相当にマニアックかつなかなか観れないレアな映画を上映するので要チェックである。かなり「分かっている」人がいるのは間違いなかろう。

面倒なんで詳細は省くが、いかにも人間中心主義的な近代的啓蒙思想に良くも悪くも骨の髄まで浸り切っているスタンフォード大学心理学専攻の学生、パターソンを中心に、ゴリラに言語(手話)を理解させてコミュニケートする訓練をしている様を記録している。

これを見るとゴリラは確かに様々な概念を理解し、それを記号であるところの手話で表すことが出来るということに素直に驚くが(350の単語を正確に使い、500以上の単語を理解する!)、パターソンが「ゴリラを個人として扱うべき」みたいな発言をするに至って、個人とか自我とかいう概念自体が人間中心主義的な考えであり、さらにその自我にしてからが近代ヨーロッパが発見(開発と言ってもよい)した産物だろう、と軽く違和感を抱く。こういう考えを相対化するために動物園の園長(だったかな)が登場して、ゴリラはゴリラだと言うようなシーンもあるが…。

映画それ自体はよくできているし、パターソンとゴリラのココのやりとりはユーモラスで面白いんだが、ココを教育していると思っているパターソンたちの無自覚な楽天性には個人的に「?」ではある。
びっくりした。正直に言って動物虐待にしか見えなかった。
30年以上前の記録だが目に余る。動物に糖質を食べさせたり、果汁を飲ませたり。挙げ句の果てにタイムアウト。人間の子どもじゃないんだから。胸が痛んだ。
まともなのは動物園のおじさんだけ。知的に高度であると自負しているであろう研究者が全然科学的に見えない。めちゃくちゃと言って良い。ゴリラの動きを誘導し、反応を自分の都合が良いように解釈しているだけだ。ゴリラはゴリラで、研究者の望む動きをしているのだろう。飼い犬や飼い猫も人間の言葉を理解し行動するが、その程度に見えた。
ゴリラに対する姿勢に欧米人の傲慢が見える気がする。
いま、この研究者は何をしているのだろう。ゴリラはまだ生きているのだろうか。
記録として意味があるのだろうか。一応、あるのかな…。
追記 まだこの活動を続けているようですね。本当にびっくりです。