Adachi

ワンダー 君は太陽のAdachiのレビュー・感想・評価

ワンダー 君は太陽(2017年製作の映画)
4.5
感傷的な描写の数々が、気にならないばかりか物語の軸になっているようにすら感じられて、所謂「泣くポイント」が悲しくて泣くのではなく、嬉しくて感動できる構造で、いい意味で裏切られた。想像していたよりずっと良い映画だった。

誰かにとっての初めては周囲の誰かにとって、ひいては世界中の誰もにとっての初めてで、「今日が初日」と宣言する医者の元で生まれたオギーが学校に行く初めての日は、母イザベルや父ネイト、姉ヴィア、学校の皆、それは誰にとっても「オギーが学校に行く」初めての日なのわけで、豊富なキャリアを備えた校長先生でさえも、最後の授与式における「気付いた」とのセリフから彼もまた初めての経験をしたことが分かる。至る所に、毎日毎時間「初めて」が在り、無数の一人称視点が交錯することで世界は構築されていく。

これはとても良くできた学園映画だと思う。
物語は子ども達の視点で紡がれていき、学校とは彼らにとって世界の始まりであり、世界の広がりであり、学校こそが世界なのです。
ヴィアの「学校ではよくあること、人は変わる」がこの映画を最もよく表しており、野外学校で上級生に襲われた際にかつてオギーをイジメていたクラスメイトが助けに入る一幕には、校長先生の「彼は見た目を変えられないのだから皆が見る目を変えなければ」という台詞を思い出す。これこそが世界の広がる過程なのかなと。
オギーが投げた石が波紋を作るように、上級生もやがて友達の側に入ることが示唆される。「外からの力を加えない限り運動はそのまま続く」と語るこの映画が主張するのは、「人は力が加われば(善い方に)変わる」ということなのでしょう。

あえて不満を探せば、イジメを先導していた彼にもっと明確な救いが欲しかったことと、オギー自身が身体以外では少し恵まれすぎていた部分。(最近『万引き家族』を観ているから尚のこと)

本作ではみんな大好き"スター・ウォーズ"オマージュが随所に散りばめられているわけですが(オギーがボバ・フェットを好きな理由や宇宙飛行士を夢見る理由を考えると泣けてくる)例えば一人の少年が世界に巻き込まれ、少年自身の魅力で銀河を救い、ラストは皆に称賛されるストーリーは、まるで『スター・ウォーズ エピソード4』のようでして、いっそのこと本作もエピソード9くらいまで作って悪役の彼にも救いを導いてあげてください。

世界を変えるために必要なものはフォースでもミレニアム・ファルコンでもなく、必要な能力は無数の人の中にすでに備わっている「想像力」と「行動力」なのだと思う。
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