Adachi

花束みたいな恋をしたのAdachiのレビュー・感想・評価

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
2.5
本作の始まりで、麦と絹が交互に喋り出す一幕。「デート&ナイト」という映画の冒頭で、レストランで近くの夫婦を茶化して喋り倒すティナ・フェイとスティーヴ・カレルを連想した。これは特にアメリカ映画でよく見られる「気の合う二人」描写なわけで、個人的にこういったシーンが大好きでして、それ以前の二人はどんなふうだったのか、というところから描いてるのがこの映画の面白みなのだと思う。
各々が心の中で延々つぶやいていたことが出会いによって口から出て交わるようになる工夫が秀逸で、本作で重要な、シリアスさと、コミカルさのバランスをアクションによりうまく交わらせる手法はシンプルに素晴らしかった。
例えば髪を乾かしてもらう、乾かしてあげる場面では更に違う意味で「交わり」をもたらすわけで、んでもって「恋」というものが生まれてしまうのだ、、、まぁホント厄介なことに。

友達の結婚式からの帰り道、観客は絹が「あれよりましだと思うようにしてる」話を麦にまだ話していなかったことを知る。その瞬間が妙にハッとさせられるわけで、彼女はその夜の「これだけ付き合っても知らないことってあるんだね」に思うところがあって駆け込みのように口にしたのだろうか。それからの三か月のあまりに楽しそうな二人を見ていると、なんだか恋愛というもののいびつさばかりを考えてしまう。一緒にいれば楽しいんだから友達じゃダメなのか、なぜ恋人、挙げ句の果てに結婚にこだわるのだろうかと。
だから個人的にはこのお話は、就職難や労働環境といった問題というより、社会によって作られた「恋愛」というルール設定に押し潰される二人の物語に思えた。映画を観ながら「この二人歳を取ったらもっと自由になれるんじゃないのかな」と思ったりもした。

めちゃくちゃ細かいところなんですが、麦の本棚を見た絹が「ほぼほぼうちと同じ」的なことを言っていたけれど、新居に引越す際に彼女は自分の本を実家に置いていったのだろうか。同じ本が二冊ずつ並んでいるのかどうかを凝視して確認してみたけど残念ながらよく見えなかった。そんなに量がなかったから、やっぱり「二人で一冊」にしたのだろうか。誰かと暮らすというのは他人の買った本を自分の家の本棚に入れるということでもある。麦が本屋で見ていたあれが自分の本棚に並ぶのを、絹は許せるだろうか。もちろん持ち物を別にするという手もあるけれど、きっとそれは「どういう付き合い方」かによるもので(そしてその点でも、歳を取ることで幅が広がることが多いと思う)

イヤホンで繋がった二人が、イヤホンで断絶される様を見ていると、結局のところ「恋は一人に一つ」といういつものお話に着地した感が否めなかった。

もう少し説明がほしい場面が多々あって、この映画では重要な点ばかりがばっさり切られているように思う。例えば「新卒で就職しないと人間じゃない、みたいな扱い」の家を絹はどうやって出たのか。二時間の映画じゃ尺が足りないのはわかるんですが、出すだけ出しておいていつの間にか溶けている問題があまりにあるように感じた。二時間内で全部ひっくるめて語る本作には、えっもう会社の人になったの?と思わざるを得ない。

特に気になる点が、例えばバイト先で行われている不倫や麦の先輩の暴力などの扱いについて。あんな不真面目に、あるいは中途半端に扱うくらいならそもそも描かない方がいいし、他の何かで代用できなかったのかと思う次第です。
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