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風花 kaza-hanaのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

風花 kaza-hana(2000年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

 なんとも鬱々とした物語だ。これが相米慎二の遺作なのか。普通すぎる人々のありきたりな物語。そこに映画的奇跡がなかなか起きず、ラストの相米マジックが起きるまでは中々キツイ映画だった。ラストカットのバッサリ感からも、何か希望のない空虚さがあった(反転して潔さもあった)。

 普通すぎる人々のありきたりな物語。これが非常に学生映画のジメッとした男女の物語っぽくて、遺作にしてこの青臭さは何故?と思った。演技も特段相米的な自然さを感じず、どこか台詞も浮ついていた気がした。でもそれは結局、青臭い頃に感じるような男女の関係性への憂いを生涯拭えなかったということなのかもしれない。生涯独身なことも、なんとなくわかる。「お引越し」を撮れるのは、結婚を畏怖していないと無理である。

 だからこそ、今作のカップルは見てられない。特に男は徹底的にクズに描かれている。そのクズ像と浅野忠信の演技が妙にズレてて、浅野自身がクズになりきれていない感があった。それぐらい、拒絶されるべき男像を描こうとしていたように思える。そしてそれは監督自身であり、自己嫌悪であったと思われる。それはあの浅野忠信のかける眼鏡が、妙に相米監督のイメージを引き継ぐことからもわかる(関係ないけど相米慎二と自分の親父、顔似過ぎ)。男のダメ具合、そしてそこに付き合わされる女の儚さ、憂い。鬱々とするし、会話も浮ついて、逃避する先の北海道というのも、はてさて逃避たりえるのか。逆に、小泉今日子演じるゆり子の夫は、どこまでも理想的な描かれ方がされており、それはそれで浮いている、あまりにも現実離れしている。しかし夫は事故死、徹底的に理想は失われる今作は、どこまでも現実に雁字搦めだ。

 自殺しようとする。ゆり子が屋上に登り、飛び降りようとするも不意に目に入る親子の姿に、思いとどまる。この望遠で俯瞰で撮られた親子のカットが、かつての「セーラー服と機関銃」の望遠カットを思い起こさせる。そして「セーラー服と機関銃」では単に実験性として監督が片付けたあのカットの意味が、不意に判明する。それは自殺しようと屋上に上った人の目線であるのだ。そしてその視線を監督が持ち合わせていたのだ。と、妙な三段論法から、監督が自殺しようとする人と同じであることを強引に導いたが、そうした冷めきった達観みたいのが彼の作品には貫かれている気がするのである。

 クロスカット。空っぽな彼らの逃避行の所以を明かしていく。それは時に残酷なことを明かすし、残酷な対比を生む。特に酒での忘却した記憶をふと思い出すシーンは、なかなかである。ぼんやりとした絶望感がのし掛かったあげく、ゆり子は自殺しに水辺に行く。相米監督にとっての水辺のモチーフは、わかりやすく彼岸なのだろう。ここで北海の寒々しい中の現在と川を挟んでクロスカットで切り返される桜の下で酔ってもたれる過去の二人の映像が、これまでにない強烈な対比を生む。雪の中一人、桜のなか二人、現在と過去。関係ないけど、こんなににっちもさっちもいかない人々が毎年春になれば桜の恩赦を受けられるわけで、日本人は根底に桜でなんとかなる精神状態、一年乗り切ればやっていける状態なのかもしれないと思った。

 死の舞。直前でゆり子が手にするのは線香花火。そして、雪の中舞い出すゆり子の姿はチラチラと点滅した光に照らされ、先の線香花火とイメージが重なり、まさに今燃え尽きる前の輝きを見せている。映画的な美が、フィクションが、こんな切ないシーンにしか現れないのが今作だ。

 自殺は阻止される。それは映画的な美しさも同時に阻止されたことを意味する。そうして現実に立ち返って、ゆり子は我が子と対面する。すると、「お母さん?」との声が、何年もあってない娘から発せられる。そんな奇跡、あるのだろうかともうキツイ現実ばかり見て、死の方がむしろ煌々としていたのを見てたわけで、今更私はこの奇跡を信じられなくなっていた。しかし、ゆり子が泣く姿には「もう彼女を赦してやりましょうよ…」という同情が禁じ得なかった。ちなみにエンディングやこのシーンに出るモチーフのカエルは、「かえるの子はかえる」的な意味なのか?これまた個人的に信じ抜くには難しい。そんな彼女らをサイドミラー越しに見つめる浅野忠信演じる廉司の、あの落ち着きないイラついた不安げな顔の、感動をぶち壊す存在感よ。あれは現実に引き戻さんとする車である。ラストはこの車に乗るか乗らないか判らないままに終わる。しかし、待つ男と歩みだした女という構図といえば、「第三の男」のラストカットなんかが思い起こさせるわけで、きっと女は待つ男を無視し歩み出すのだろうと思えた。あの絶妙なカットの切り方から、そんなことを予期させる手腕よ。また、男(廉司)はどこまでも反省しない生き物であると表現したげに見えた。

追記
今回、脚本を一読する機会があり、読んでみると微妙に細部に違いがある。まず、脚本に無いものとして、ゆり子の自殺を仄めかすシーンが丸々無い。また、美樹と寝るシーンも無い。また、ゆり子の妊娠を明かすシーンも劇中より脚本では短い。これらの引き伸ばされた、または追加されたシーンに重要性があるように思う。ゆり子の自殺にみる相米監督自身の視点、美樹との関係に見る廉司の不能さ、ゆり子の妊娠に喜ぶ夫の理想像。兼ねこの映画のポイントになる部分と密接であるように思えた。ラストも脚本ではその後が描かれていたが、劇中バッサリ切って正解だと思った。
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