新潟の映画野郎らりほう

昼顔の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

昼顔(2017年製作の映画)
4.1
【銀河鉄道の螢火】


蹌踉めき 靴脱ぎ落とし 躓き 水没し ずぶ濡れ 息切れ 地這い 脚引き摺り…、それでも前を向き歩んでゆく - 紗和(上戸彩)のそれら身体性が、彼女の立場・概況、そして心象を映してゆく。

調理/食事然り。所作/行動は悉く心象顕現として機能する。
彼を捜し求め“右往左往”する様や、時折彼女の髪を揺らすエモーショナルな風の用法等、それを捉える精緻な撮影共々洗練されている。

クラクション、視線交錯、夜の禍患と、不穏が三段活用で表徴される黒塗り乗用車。
鉄道操作軌道上の天の川等、各種モチーフの反復に依る語りが映画的だ。

無論、安易な非映画的ツール“携帯”の使用は最小限に抑制されており、作り手のその気位に嬉しくなる。

作品は副次的に、他者を謗り貶し それを自身の気慰みとする - 御大層な倫理観を持つどこぞの姿勢をも浮かび上がらせていよう。そんな同時代風潮へ訓戒的な姿勢にも作り手の気位が伺えるか。



劇中夥しく頻出する窓硝子越しのショット。
バス後部硝子は紗和と 追い掛ける北野(斉藤工)を隔つ障壁と化し、電車自動扉窓は車内とホーム上それぞれに立つ二人を分かつ。他、軽トラ背面硝子、シンポジウム会場窓硝子等、二人は都度 窓の“此方と彼方”の位置関係に立たせられる。
思い出そう -劇中二人の最期の位置関係を-。
そこでも窓硝子は、酷薄な迄に二人を分け隔つ。
“彼方”の者を透過しつつ、その表面に鏡映する像を“此方”の者が見ている - 序盤から暗示されていた“彼方と此方”の諷喩の その酷薄な帰結に唯絶句する。




《DVD観賞》