ま2だ

アンダー・ザ・シルバーレイクのま2だのレビュー・感想・評価

4.1
アンダー・ザ・シルバーレイク、観賞。

膨大なオマージュとコラージュの照り返しの中から浮かび上がる夢と挫折の記憶と現在進行形の敗北と。悪夢版ララランドと称される本作、煌びやかさの代わりにモンドなムードてんこ盛り、という点では当たっている。負ける土俵のスケールの小ささと輪郭の曖昧さで分かりにくくはあるがそれゆえ、ほのめかしの先に差し出された結末には、こちらの方が圧倒的に身につまされる向きも多いだろう。

無職の青年と娼婦たちがそれぞれの機動力を活かして、消えた女を捜して共同体の闇に踏み込んでいく、という構造はリンチというよりは村上春樹的ストーリーテリングに思える。現実と夢、そして夢のような現実との往来、すましたトーンに時折挿入される唐突な暴力やグロ描写がもたらすループとブレイクの利用の仕方もよく似ている。

しかし本作に散りばめられた膨大なオマージュ及びコラージュの多くはメタファーの域まで達しておらず、物語というよりは観る者のカルチャーに対する自意識を刺激するために配置されているようだ。

これは劇中での主人公の動き方に連動していて、彼は世界に散りばめられた数々のサインに導かれて様々な場所に到達するのだが、決して「その先」には移動しない。村上作品の拭えぬ特徴である、井戸やセックスをメタファーとした「向こう側へ行くこと」「何かを持ち帰ること」へのオブセッションはアンダー・ザ・シルバーレイクの世界には希薄だ。

消えた女を捜すことと、自身の抱えた問題の解決とが連動していないのも印象的で、彼は謎を解きあちこち移動するもののその実、どこにも向かっていない。

我々観る者に仕掛けられた膨大なオマージュとコラージュは、ソングライターによって総括され、主人公を飛び越え我々にダイレクトに叩きつけられる。なるほどこれ以降はメタな言及で映画を引っ張るのだな、と思いきやその方針は早々に引っ込められてしまう。

ただソングライターによってたった一度、主人公と共に串刺しにされてしまった以降は、観客の自意識もまた、膨大な情報の中をかいくぐりながらもどこにも向かうことが出来ずに静かに敗北していく彼の姿に閉じ込められ煩悶するハメになる、というわけだ。エンタメとしては相当タチが悪い。

観賞中は上映時間の長さが気になったが、このタチの悪い企みには必要な時間だったのかもしれない。

ハリウッドに隣接した頽廃を体現したような絶妙な美しさのライリー・キーオはじめ、どこか幽霊的な存在感の娼婦たちがみな素晴らしい。主演のアンドリュー・ガーフィールドも捉えどころのない芯の強さ、という本作にふさわしいキャラクターを見事に演じていたと思う。頼むから仕事してくれ。

劇中とエンドロールとで採用されているR.E.Mのチョイスにそれぞれニヤリとさせられた。
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