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夜は短し歩けよ乙女のmatsuitterのレビュー・感想・評価

夜は短し歩けよ乙女(2017年製作の映画)
3.4
男性向け恋愛アニメの傑作。

奔放な黒髪の乙女と、彼女に密かに思いを寄せる先輩の、ある夜の邂逅を描いた恋愛コメディ。

原作アリな脚本は言葉の洪水。そしてアニメならではの何でもありな編集力が際立ち、全編に渡り奇跡的な輝きを放っていた。

以下ネタバレ。

この映画の魅力は、脚本と編集の絶妙なバランスが生み出すグルーヴ感に尽きる。編集が凄過ぎてもはや私の説明力を超えていた。なのでここからはポエムです。

構成はアニメ4話分を1つの映画にしたような形式で、わかりやすく4回クライマックスが訪れる。古風な言い回しを多用しつつも肩の張らない会話が粋であり、全体的に現世とは別次元かのようなシュールな印象だが、非常に論理的に話が進むので混乱せずに観ていられる。

好きなシーンを挙げればキリがない。ほぼ全シーンが作り込まれている。

1番好きなのは酒飲みの快楽を描いた第1エピソード。適当に飲み屋を歩き回り出会った人たちと飲むだけのプロットだが、詭弁論部の会でのモンティーパイソンのシリーウォーク的な詭弁踊りを覚え、それをキッカケにして老人会で華となり、勢いで李白と戦うことになる展開は、酒飲みに生まれる連帯感を見事に表現していた。カクテルを宝石に例える、老人会は赤玉ワインを飲む、偽電気ブランの伝説など、五感を刺激する語感が心地よく、まさに恍惚とはこのことである。

ふと、学生時代に浅草で終電を逃し電気ブランを飲んだこと思い出す。いきなり出会った酒飲み2人組、怪しいオッサン、美女。記憶の彼方に消えていた酒飲みの原体験が蘇る。私はこの夜を何度過ごしてきたのだろうか。

続く古本市のエピソードは、神様が本の多角的繋がりを語るシーンでオタク的感性の系譜を再確認する。若い頃にこういう解説に出会わない人生だったらたぶん私はオタクやってないんよ。なし崩し的な火鍋対決のあと最後のクイーンボヘミアンラプソディオマージュなロックオペラ風ゲリラ演劇が芸術的な完成度で、観ている私は唖然となった。

学園祭の韋駄天コタツ+ゲリラ演劇の流れがいきなり学園モノのミステリー要素を持ったかと思いきや偏屈王は終始ミュージカルで攻めてくる。大好きすぎる要素満載。いやーよく詰め込んだw ぜんぜん関係ないけど委員長が神谷浩史だったので、あ、リヴァイ兵長と一瞬思ってしまった。

風邪のエピソードは、まさかまさか、いきなりの視点スイッチ。彼女がむしろ彼を追いかける展開。李白と会って、ネガティブな風邪がむしろ人間関係構築の逆説的比喩となっていることがわかり、そしてさらに彼への気持ちを意識するというキッカケになる。自分が向かうべき運命に気がついた瞬間から、これまで軽快だったステップが嵐の中で歩けないほど重くなるのは一体どういうことなのか。これが人生を進めることの重さなのか!

最後の妄想シーンではアニメならではの大スペクタクルでディズニーばりの大回転クライマックスを描いてみせる。この中にはマドマギかラピュタかと感じられるようなシーンもあり、オタク冥利に尽きた。

コメディ要素もとても好き。最高に笑えたのは、番長がコンビニでコーラを買いよくわからない栄養ドリンクを作るくだり。ああ俺も高校生のときこういうのよくやったなあと思って爆笑した。細かいシーンが書ききれないのが残念だ。全部面白かったんだ。

キャラ全員が奔放でありながらも目的志向が強く、あわよくばを狙うしたたかさを常に忘れない姿勢が終始一貫していて非常に魅力的だった。友というのはこういう人物で固めたいものである。

微細な言葉のセンスは原作者の天才。特に「なるべく彼女の目に留まる」ナカメ作戦、永久外堀埋め立て機関はまさに男にありがちな状況であり、本作は男性向け恋愛映画の1つといえるのではないだろうか。

ネガティブな点。

言葉の洪水系は気持ちが良すぎる。気持ちが良すぎて考えることを忘れてしまうレベル。これが死ぬほど好きなのでネガティブともなんともいえないのだが、私にとって気持ちが良すぎるものは嫌いな人もいるのかなと思ったりした。

余談。

今回は正直アジカンのファンとして鑑賞したのでEDは最高だった。原作未読。湯浅監督についても四畳半は2話で挫折したし他も名前を聞いたことあるぐらいのニワカ以下だが、本作にはヤラれたのでようやくファンになれそう。
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