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ヒトラー最後の代理人の小のレビュー・感想・評価

ヒトラー最後の代理人(2016年製作の映画)
4.2
ヒューマントラストシネマ渋谷で開催の「未体験ゾーンの映画たち2017」にて鑑賞。アウシュビッツの収容所で指揮官を務めたルドルフ・フェルディナント・ヘスの自叙伝に基づく映画。

アウシュビッツの収容所で一番長く指揮官を務めた彼は、一酸化炭素に代えチクロンBという殺虫剤で、100万人もの人を殺したとされる。

ポーランドの刑務所における取り調べの会話と、取り調べを担当した捜査官であり判事の生活の描写の繰り返し。刺激が少なく退屈だが、その内容は深い。

この映画で明かになるのは、大量虐殺を指揮した彼は、人間性のかけらもない殺人鬼などではなく、普段は良心に従い行動する普通の人であるということ。

普通の人は家族の生活と自分の心を守るため、命令に従うときは、別の人格になろうとする。彼は家に戻ったとき、収容所の人格のままだったら、家族と話せないと告白する。そして女性や子どもをガス室に送るとき、自分の妻子がいつまで幸せでいられるかと考えてしまうと告白する。

命令に背くことは許されないし、あり得ない。自分の行為を否定する良心を抑圧し、任務を遂行する。いったん手を染めてしまったら、それを否定できなくなる。だから、より任務にまい進することで、自分の行為を正しいと思い込もうとする。多分、強迫神経症のような状態だろう。

ここでハタと思い出してしまったのは、『ローグ・ワン』の山場のシーンで命令に背き立ち上がる反乱軍兵士たち。カッコよく、シビレルシーンだけど、彼らの動機の深い部分は、この指揮官とまったく同じ。戦争で人を殺し続けてきた自分を否定できないから。

物語ではカッコ良くてカタルシスだけど、現実は暗く、重い気持ちになる。もっとも『ローグ・ワン』の兵士たちは自分の命もかかっているから、良心の呵責は少ないのかもしれないけど、こういう感情は物語の中だけにして欲しいとつくづく思う。

一方、取り調べを担当した捜査官は、はじめのうちは話を聞き出そうと指揮官の罪悪感を刺激するような質問を繰り返すが、そのうちに指揮官の心情に共鳴するような感じになってくる。

取り調べ後の捜査官の家族とのシーン、酒場でのシーンは、指揮官の任務遂行中はこうではなかったのかという印象を受ける。彼が問題を起こすシーンでは、指揮官の気持ちと同化しているようにも思える。捜査官によって、指揮官の心情をよりリアルに示したのだと思う。

憎しみは何故連鎖するのか。いったん憎しみをもって手を染めてしまったら、その自分を否定できなくなるから、ということがわかる。連鎖を断ち切るための第一歩は歴史に学ぶこと、まずは知ること。
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