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ミステリと言う勿れの小のネタバレレビュー・内容・結末

ミステリと言う勿れ(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

映画公開後、TVerでテレビ放送12話全部配信をなんとなく見てしまった。主人公の探偵役は、どんなことでもよく知っていて、細かく観察できて、記憶力が抜群という一般人とは異なる特殊能力と、その代償としてなのか、出世できそうにない協調性を欠いた性格。各種名探偵ドラマにおける標準的キャラクターによる王道的謎解きドラマ。

本シリーズの特徴をあえて言えば、天然パーマの探偵役・整(ととのう)くんが、ステレオタイプな考え方(場合によっては常識)に対し理路整然と物申し、その“ステレオタイプ”によって苦しんでいる人(視聴者)を楽にしてあげるところ、ですかね。

犯人が、逮捕されるとともに整くんの言葉によって気持ちが解放されるのは、『鬼滅の刃』で首を斬られた鬼が人間性を取り戻していく感じに似ているけれど、多くの謎解きドラマは同様の構造を持っているのかしら?

タイトルの意味について原作者は「ミステリと呼ぶにはおこがましい。ミステリでも何でもない」と述べているらしいけれど、“ステレオタイプ”に対し、自分が考えていることを整くんに代弁してもらうことが一番やりたいことかな?と感じるくらい「ぼくはつねづね思っているのですが…」で始まる台詞に力がこもっている(長い、時に説教臭い)。

さて本作ですが、なるほど〜と思ったことが物語の枝葉と構造の部分で1つずつあった。特に構造の部分では、最近の映画鑑賞で考えていたことでもあったので、やるなぁと思わされた。

まず枝葉の部分は、整くんが、事件で精神的に傷を負ったであろうヒロインにカウンセリングを勧めるくだり。「大丈夫」と断るヒロインの“ステレオタイプ”に、整くん節が炸裂する。

細かい台詞の内容は覚えていないけれど、確かアメリカでは精神的に負担がかかる仕事に携わった場合、カウンセリングを受けさせるらしい。それは人間は弱いもの、という前提が社会にあるから。対して日本は精神に傷を負った者は外される。人間の弱さを認めない社会の前提はおかしいのではないか?と。

ヒロインの“ステレオタイプ”は、個人的には武士道精神的“恥”の概念が根底にある(傷を負う心の弱さは恥)と思う。しかし「行き過ぎた美徳は悪徳にもなる」のでありストレスフルな現代においては整くんの指摘通り、その“ステレオタイプ”は“悪徳”と言っていいかもしれない。

そして構造の部分は、本作が差別問題を描いていること。差別は加害者側の恐怖心が発端であり、その恐怖心がなくならない限り続く。そして差別の事実はそのままに理由が変質していく。

被害者の資産を強奪し一族を抹殺した加害者は、取り逃がした被害者の復讐を想像し、その恐怖心を先祖代々受け継ぎ、被害者の子孫に加害者一族であることがバレないよう、身内で特定の容姿の者を殺害(差別)してきた。

特定の容姿の者が誕生することは避けられないので、被害者一族(新たな差別対象)を探し出し、抹殺しようとする。

時間の経過とともに殺人(差別)による罪の意識は薄まっていき、殺人(差別)を意義のあることと考える者さえ出てくる。

一方、被害者側は復讐心を子孫に受け継がなかった。子孫は事件とは無関係に幸せに暮らしている。最終的に加害者を救ったのは、復讐とは無縁の、被害者の幸せそうな姿だった。

現実はこんなに上手くはいかないけれど、差別問題を考えるうえでの思考実験として、無理のない展開であるような気がする。
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