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キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンの小のネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

面白いとは思わなかった。ディカプリオ演じるダメ男アーネストの葛藤がよく分からなかった。それで原作(『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン──オセージ族連続怪死事件とFBIの誕生』デイヴィッド・グラン著)を読んでみた。

映画では描かれていない第三部で、オセージ族の連続殺人事件以外にも明らかにされていないたくさんの殺人事件があったであろうことを調べた筆者は次のように書いている。

<オセージ文化研究では右に出る者のいない人類学者ギャリック・ベイリーは、わたしにこう語った。「もしヘイルが知っていることを話していたら、この郡の指導的市民の大半が、刑務所送りだったでしょうね」実際、社会を構成するほぼすべての集団が、この殺人システムに荷担していたのである。>

知り合いの白人全員が犯罪に手を染めているというような、フィクションの世界のような状況。それが現実ならば背景を知りたい。

ググっていくうちに獨協大学外国語学部交流文化学科の教員コラムで、高橋雄一郎先生が「アメリカ合衆国の歴史を先住民の側から見直してみよう」というタイトルの文を連載しているのを見つけ、これが非常に参考になった。

<合衆国には公式に定められた国の標語(national motto)があるのですが、「In God We Trust (我々は神を信じる/頼る)」です。このフレーズは合衆国の全ての紙幣に印字、硬貨に刻印されています。大統領は就任式で、聖書に手を置いて宣誓をします。(略)合衆国の建国や発展が神の導きによるもの、あるいは神の定めである、という発想は、(略)合衆国の思想史・精神史におけるバックボーンを形成しています。>

<「明白な天命(Manifest Destiny)」は、北米大陸の征服、西へ西へと領土を拡大していった、いわゆる西漸運動(westward movement)が、神の定め(運命=destiny)であることは、誰の目にも明らか(manifest)だという主張です。(略)西漸運動が急ピッチで進められた19世紀後半には、米国思想に内在する覇権主義的なイデオロギーを正当化するために用いられました。西部開拓を神が定めたもの=天命、とする主張には、反駁の余地は残りません。先住民族の虐殺や文化の破壊が国是とされたのです。>
(https://tinyurl.com/ylj8hmtd)

神を信じる国アメリカは、神の定めに従って開拓を進め、先住民族を虐殺し、その文化を破壊した。現在紛争中の某国をアメリカが支持するのは自分たちと似ているからではないか、と思うのは考えすぎですかね?

それはともかく、こうした考えのもと、アメリカの白人が先住民をどのように扱ってきたかについて、高橋先生は映画『駅馬車(Stagecoach)』(第12回(1940年開催)アカデミー作品賞受賞作)を例に次のように指摘する。

<白人の側にはそれぞれ名前があり、個性があり、一人一人に過去、人生があります。しかし先住民の側には何もありません。彼らは皆が同じようにどう猛な顔をして怖ろしい雄叫び声をあげる、集合的な恐怖としてのみ存在しています。(略) 彼ら(女性の先住民は一人も登場しないので)は、映画館の観客が感情移入した白人乗客たちを襲う、圧倒的な他者、悪以外のなにものでもないのです。だから、ごきぶりのように駆除され、バタバタと殺されて行っても、憐憫の情も罪悪感も呼び出されません。開拓を旗印に進められた先住民の虐殺と西部の植民地化を正当化してきた娯楽のジャンルが「西部劇」なのです。>
(https://tinyurl.com/yn4tcy2q)

トドメは白人社会への同化の強制。

<「良いインディアンは死んだインディアンだけだ」ということわざをご存じでしょうか。善良なインディアンなどは一人もいないから、インディアンは皆殺しにしても構わない、という意味で使われました。(略) カーライル・インディアン工業学校を創設した元軍人のリチャード・ヘンリー・プラット(Richard Henry Pratt,1840-1924)は、このことわざに少し手を加えて寄宿学校の目的を、「インディアン(性)を殺し、人間(性)を救うこと(Kill the Indian, Save the Man)」だと言いました。インディアンを白人のように作り変えること、英語を教え、キリスト教に改宗させ、文明化することを使命だと考えたのです。(略)寄宿学校の狙いは、虐殺や、自分たちには免疫のないヨーロッパ由来の天然痘の流行、居留地への強制移住によって人口が激減した先住民たちを、今度は文化的に抹殺してしまうことでした。>
(https://tinyurl.com/ynoke6hp)

寄宿学校の実態は東京新聞の連載に詳しい。

<「寄宿学校は、自身の信仰や文化は誤ったものだと思い込ませる人種差別そのものだった」「私たちは人間と見なされていなかった。もの扱いだった」>
(https://www.tokyo-np.co.jp/article/190611)

ここまでくるとアーネストの葛藤、心の奥底がなんとなく理解できる気がしてくる。アーネストが妻の家族の殺害に加担し、妻にまで手をかけたのは、お金が欲しいこと、おじが怖いことよりも、先住民とその文化を抹殺することは正しいことだとする白人の深層心理にアーネストも縛られているからではないか。

しかし彼は一方で妻を愛し、失わなかった良心とせめぎ合う中で、ついに耐えきれなくなり、真実を告白せざるを得なくなった。もしアーネストがダメ人間でなかったら、本作の事件も闇に葬り去られていたかもしれない。

原作を読み、先住民と白人の関係をちょっとかじると、ラジオドラマのシーンやラストシーンなどの含意がわかるような気がして、もう一度観ようかなあ、と思うものの、長いよなあ…。
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