馬井太郎

赤線地帯の馬井太郎のレビュー・感想・評価

赤線地帯(1956年製作の映画)
4.2
売春防止法の完全施行は、1958年4月だから、この映画は、その2年前のもの、ということになる。(正確には、1957年4月施行、とある。1年間の猶予は、商売替えへの配慮であった)
警察が認めた公娼窟は、地図に赤い線で囲われたことから、通称「赤線」とよばれた。別に青い線で囲われたところもあって、こちらは赤線に対して「青線」といわれた、私娼窟である。今更言っても無駄だが、色分けするなら、逆のほうが合っている、と思う。
男女の性交を商売にするので、特に「性病」には、どこも相当の気を使った、という。専属?の医師がいて、定期的に検査を行った。「鉗子(かんし)」は血管をはさんで血流を止めるものだが、それとは反対に、先が開くようになったものを挿入して、まずは、目視検査をする。
人の顔と同じように、女性器も様々なのだろう。「商売は、その道によって賢し」とやら、玉石混交の中に、これは! という名器を発見できる鑑定眼が、担当の医師に自然と備わった。
「彼女は、ちょっと、病いの心配があるので、しばらくは、休ませてください」
表向き、こう言っておいて、裏では店の主人に手をまわして、こっそり、自分だけがひとりじめ、名器を堪能する、という話を耳にしたことがある。・・・本当かぁ? はい、そう信じてください。

映画では、懐かしい、いい役者がそろっている。進藤英太郎、好きな役者だ。「明日から、腰を入れて働いてくれ」、には、思わず吹き出してしまった。さすが、貫禄である。
監督・溝口健二が惚れた撮影・宮川一夫、やっぱり、いいなあ。三益愛子がたったひとりの愛する息子を工場に訪れるシーン、夕陽をうまく使っている。
音楽担当・黛敏郎、賛否両論あるだろうが、わたしは、いい、と思う。「赤線地帯」なのだ。
溝口健二は、この後、「大阪物語」撮影を前にして体調を崩し、8月急逝してしまう。「赤線地帯」が遺作となった。