フラハティ

希望のかなたのフラハティのレビュー・感想・評価

希望のかなた(2017年製作の映画)
4.2
誰もが幸せになる世界を作りたいなら、自分だけが幸せになるという考えを捨てるべき。
もし完璧な世界があるとしたら、そういう世界なんだろう。


カウリスマキ作品の中でも、これが一番好き。
前作(ル・アーヴル)と本作で、初見の人でも監督の独特な世界観に入りやすい作風になっているような気がする。

社会問題について言及しつつ、監督が根本的に考えている、“負け犬”のような人々であっても“勝ち組”の人々よりも豊かであるということ。
たとえ貧しくとも心は豊かであり、毎日を懸命に生きているということ。
引退作でやりたかったであろうことと、伝えたいことが凝縮されている。
これまでのキャストと、sushiとワンコ。
そして単純なこと。
誰もが平等であるということ。

現実問題として、移民や難民という問題は根深い。
実際ヨーロッパだと日本よりはこういった問題には敏感だろうし、日常的に多いことなんだろう。
すべてがリアルに感じられないから、こうしてどこか関係ないものとして感じていても、こういった世界が存在しているというのが現状。


自分(自国)の生活が苦しいほど、他者(他国)の生活を考えられなくなる。
本作は貧しき経営者が、困っている難民に手を差しのべることで、物語は進展していく。
優しさは優しさで繋がっていき、最後には観客へと繋がっていく。
「いい人に助けられた。」というセリフが印象に残るが、それは助けられた当人がいい人だからであるんだよね。
たとえ経営が上手くいっていなくとも、これより悪くなることはない。
だからとりあえず続ける。
そんなんでも生きていけるから、もっと明るく生きたいもの。


今まで貧困層に寄り添ってきたカウリスマキ。
前作に続いたテーマとして扱っている難民問題にも通ずる思いがあるんだろう。
実際受け入れに対する審査には難しいところもあるだろうが、あのシーンは珍しく主人公の内なる怒りが表現されていた。
実際にその現場を見れば、どれほどすさまじい場所であるのかはわかるだろう。
でもすべての難民を受け入れるというのは現実問題難しいところもある。

「死ぬのは簡単。でも私は生きたい。」
なぜ人は死を選ばざるをえない瞬間が訪れるのだろう。
誰か人を苦しめているとしたら、それは同じ人が行っていること、及び人間関係によるもの。
みんなが生きたいと思える世界を作るためには、小さなコミュニティであれ、他者を尊重することを忘れてはいけない。
いつしか誰もが希望を持てる世界は、現状では難しい。
優しさや温かさは波及し、人種や国境を越えて伝わっていく。
その一歩のためには、まず自分から変わっていこう。

監督引退という言葉は辛いけれど、これからまたひょっこり戻ってくるかもしれないし、とりあえず楽しみにしておこう。
そしてアキ祭りもとりあえず本作で終了。


希望が生まれる。
そんな世界を夢見て。
フラハティ

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