ま2だ

寝ても覚めてものま2だのレビュー・感想・評価

寝ても覚めても(2018年製作の映画)
4.5
寝ても覚めても、観賞。

恋愛関係において、相手を信じることと、相手を信じることができる自分を信じること、その似て非なる2つのスタンスの断絶を完膚なきまでに叩きつけてくる。前者の不可能性と、それによって後者が構成する秩序が無残に破壊されていく様に身を捩らずにはいられない。

秩序の側に立てば嫌悪し遠ざけるしかないし、そうでなければ嫉妬込みで自らの願望を引きずり出され、それが引き起こすディザスターをこれでもかと見せつけられるエグい傑作だ。

恋が愛に変わろうが変わるまいが、他者を理解することの困難さは揺るぎなく、秩序側から観ると主人公の朝子は最初から最後まで、超恋愛体質のメンクイモンスターとして映画に君臨し続ける。

朝子と麦の筋が通りまくった行動の何が、観客含め周囲の人間を苛立たせ、おののかせるのか。そのあぶり出された感情と、彼らの哲学との果てない抗争がこの映画の正体だろう。

劇中で串橋がマヤに謝罪する際に使った「嫉妬」というキーワードは、朝子を中心に構成された映画と我々観客の関係性も示唆しているように思える。

被災地への慰問の真意や、病床の友人との再会と物言わぬ彼への独白など、朝子の同調圧力に決して呑まれないぶれなさの表現には、この少ない登場人物の割にずしりとくるクロニクル形式の語り口が必要だっただろう。時間の経過そのものが終盤の最高にサイコで純粋なシーンのカタルシスに貢献している。

好き嫌いにかかわらず、この結末をある程度想像できない者はいないはずで、そしてこの結末が自分の中にも存在する/した可能性を突きつけられる。劇中何度も苦笑しつつも冷や汗を流す自分を感じた。

主演女優の演技に引きずられるように抑揚やリアリティを欠いた登場人物たちのセリフ回しも、没入や共感ではなく、自省せよと促すメッセージに思えた。

flex lifeの「寝ても醒めても」の歌詞は本作の下敷きにあったりするのだろうか。

"寝ても醒めても 頭の中は おとぎ話ね私は
夢から覚めた日々の世界は
多くを語りかける
寝ても醒めても 疑いや嘘 憎しみは続く
重力に逆らって遊ぶ"
ま2だ

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