かじられる

花筐/HANAGATAMIのかじられるのレビュー・感想・評価

花筐/HANAGATAMI(2017年製作の映画)
4.8
夢か現か幻か。

昭和16年。唐津。大学予備校に通う鵜飼(満島真之介)、吉良(長塚圭史)、俊彦(窪塚俊介)、その叔母である圭子(常盤貴子)、従妹の美那(矢作穂香)などを巡る群像劇。迫り来る戦争の影の中で、若者たちのエロス(生の衝動)とタナトス(死の衝動)が乱反射し、明滅する躍動は美那の鏡にヒビさえ入れる。

皮肉だ。

死の予兆が漂えば漂うほど、生命は渾然と勇躍し、余すところなく燃焼し始める。それはもはや青春の浪費とは言えない。月は限りなく下天を占め、海はあり得ぬほど広大である。明暗含めた深慮なる瞳には戯画ではなく、世界はかくあれかしと言わんが如く。

「血…!花…!」

繰り返される紅は生、エロティシズム、死、否応なく受け継がれる命脈のシンボル。卵の殻で交わされる時代のベルモット。

「夫は『俺は満州に落ちる真っ赤な夕陽の下で命を果たすんだ』と言って立派に死にました」

戦争の足音が近づくにつれ、若者たちの交差する思いは明る過ぎる月光に晒され、色濃い輪郭を木々の裾に投げつける。能面が光の加減で次々と表情を変えるように、やがて時空の境は消え、過去や夢や現実がめくるめく踊る幽玄美。織り成される記憶はチェロ、合唱、祭り囃子と共に混然と喚起し。

「青春が戦争の消耗品だなんて、まっぴらだ」

大祭、唐津くんち。本来なら狂気じみた衝動を発散するこの場でも、彼らの姿は小さくうごめくに留まる。戦争という巨大な死の虎口の前では、艶やかな祭りの興奮など慰めの代償に過ぎない。

真珠湾攻撃。

喀血を繰り返し、徐々に病状を悪化させる美那は当時の日本の姿そのもの。だが死の前でこそ、気高く瞬時の命を全うする若者たちの姿が眩い。エロスは十全に果たされたのだ。

「さあ、お飛び!お飛び!!」

私達は憶することなく生きているだろうか?きちんと飛翔できているだろうか?美那の見る一夜の夢の欠片のように、儚く脆く切なかろうと。いずれ誰かの胸に仕舞われるひとひらの花筐。

「綺麗…」
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