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カランコエの花のkuuのレビュー・感想・評価

カランコエの花(2016年製作の映画)
3.8
『カランコエの花』
製作年 2016年。上映時間 39分。
LGBTが抱える問題を、当事者ではなく周囲の人々の目線から描き、2017年・第26回レインボー・リール東京(東京国際レズビアン&ゲイ映画祭)のコンペティションでグランプリを受賞した短編作品。
レインボー・リール東京のほか、京都国際映画祭2017や第4回新人監督映画祭などでも受賞を果たした。監督は尊厳死を題材に描いた『尊く厳かな死』の俊英・中川駿。

とある高校の2年生のクラスで、ある日唐突に『LGBTについて』の授業が行われたことをきっかけに、クラス内にLGBT当事者がいるのではないかという噂が広まっていく様子を描いた。
日常に波紋が広がり、思春期ならではの心の葛藤を抱えた生徒たちは、それぞれに行動を起こすが。。。

タイトルの、
『カランコエの花』
まず、この『カランコエ』て花の花言葉は
『あなたを守る』
『幸福を告げる』
『たくさんの小さな思い出』
『おおらかな心』
といった素敵な花言葉が付けられています。
これらは、集まって咲くカランコエの花姿に由来してるんやろけど、今作品のキャッチコピー
『ただあなたを守りたかった』
にあるように、花言葉とは裏腹に、願いは叶わなかったのか、もしくは叶えたかったなんかもしれない。
もしかすっと、小さくてもたくさんの思い出も隠されたモンなんかもしれない。
鮮やかな赤い花が咲き誇る姿を映画のモチーフにされてるが、こんな風に立派な花を咲かせるにはあまり光をあてないことや条件だそうです。
多くの光を嫌う花。
それも、この映画のキーワードの一つなんかな。
最近、邦画でも、いわゆるLGBTを主人公にしたドラマが多くなってきてる。
当事者の生活を、毎日の生活を通して描いてることが多い。
一昔前ではなかった現象と云える。
小さな、あたたかい幸せを求める当事者の生き方や関係において、当事者間にさえギャップが生まれることもある。
最近のドラマやと、日常生活の中で意図しないアウティング(英語で『暴露する』という意味を持つことから、本人の了解を得ることなく、本人が公表していない個人情報、例えば性的指向、どの性を好きになるか、や性自認、自分の認識する性、などを第三者に暴露する行為を表す言葉)や良かれと思ったカミングアウトのプレッシャーが描かれてんのがあるかな。
時にそれは、ほんの一瞬の出来事といえる。
多くの周囲の人たちにとって、それは目に見えず、気づかれないものや。
今作品も、そんなLGBT(Q)をテーマにした映画です。
しかし、この映画の主人公は、LGBTに影響を受けている人ではなく、また、LGBTでもない。
主人公は、彼女を取り巻くすべての人たちなのです。
今作品は、そのまわりの人、一人ひとりの視点から構成され、描かれている。
せやからこそ、今作品を観る人は、LGBTを理解するために観るのではなく、むしろLGBTを理解するためではなく、映画を通して自分自身と向き合うための作品なんかな。
上映時間39分の短編映画でありながら、映画祭ではグランプリをはじめ、計13の賞を受賞してんこはこの時代にあって理解できるかな。
当初は東京・新宿の映画館で1週間の公開予定やったそうで、その後、全国各地で上映されたそうです。
ロードショー上映ではないため、知名度は低いやろけど、まぁその世界やと高い評価を得てる。
お話は、ある高校2年生のクラス。
予告編やと、黒板に大きく
『LGBT』
なんて書かれ授業をしている教師が映し出されてた。 
しかし、この授業が他のクラスでは行われていないことに気づいた生徒の一人が、
『なぜ私たちのクラスだけなんやろ』
と疑問を持ち始める。
予告の中ばで、生徒が
『うちのクラスに居るんじゃね?』
なんて台詞が、妙に見る側の胸に突き刺さる。
その後、教室や登下校の日常を背景に、同級生が事件に巻き込まれているのではないかという疑念に悩むさまざまな生徒の表情が描かれる。
クラスの生徒たちの変化を、"周囲の人々 "の視点から、互いを織り交ぜながら、鮮やかに描き出す。
映画のキャッチフレーズは
『ただあなたを守りたかった』
この声は誰に届こうとしているのか、そしてタイトルの
『カランコエの花』に秘められた真意。
そんなことを考えながら、映画を観たら違う角度で見れるんじゃないかなぁ。
サクッと見れるけど重みのある作品でした。

偏見について徒然に。
※今作品のテーマに無理やりからめ、かなり個人的な鬱憤を書き連ねておりますが、気分を害されましたら御許しのほどを。

日本においても偏見は表立ってはなくなってはきてる。
あくまでも表立ってやけど。
矢面にたつ者やなきゃそう思う。
思って納得してるだけなんかもしれない。
小生もその人りやったかな。
しかし、少し前のこと。
小生は髪の毛の色を金髪を越え真っ白に近い色に変えた。
見た目を変えたとたん、好意的な視線も増えたが、二度見や、あからさまな眉を寄せてのガン見なども増えた。
まぁ、それは目立つカラーリングやし仕方ないことではあるし納得はしている。
しかし、見知らぬ者との揉め事も増えたのは辟易している。
度重なる揉め事で自分なりに反省し内省してみたが、中々原因は掴めなかった。
勿論、原因は一つではないとは思うが、主な要因の一つに、この髪の毛の色があるのだとわかった。
と云うのも、先日、ある者に、所謂、因縁を付けられモノを投げつけられた。
小生は、
『私人逮捕』
だと相手に告げ取り押さえた。
私人とは、警察官や検察官などの公的機関に所属しない人のことをいい、一般人(民間人・市民)と考えれば良いかな。
そして、私人逮捕とは、この私人による逮捕のことで、法律では現行犯逮捕と準現行犯逮捕に限って私人逮捕を認めています。常人逮捕(じょうじんたいほ)とも呼ばれています。
怪我をしてるかどうかは後でないとわからないが、現時点では刑法208条暴行罪は成立してるし、この罪状で私人逮捕を行いました。
ここまでは、カッコいい流れだけど、通行人は沢山いたが中々通報してくれなく、格闘する事数十分、子供のケンカのようなやり取りでやっと取り押さえた。
そこに押っ取り刀で警察官が登場。
しかし、数人の警察官は小生を犯人やと思ってか、今度は小生が取り押さえられた。
『私人逮捕をしたまで』
と何度告げようと、警察官たちはそんなものなど無いと、相手にせず、刑事がくるまで押し問答が続いた。
刑事は近くの監視カメラの映像を見てきたとのことで、小生の云い分を理解してくれ解放してくれた(私人逮捕の要件も沿ってるし、それ以上の事は私人ではできないと云ってくれた)。
後日、任意の事情聴取で知ったことなのですが、加害者はどうやら小生の髪の毛の色、服装が気に入らなかったからと云う理由だけで突っかかってきたとのこと、その後、加害者の弁護人より示談の申し出(示談金の臭わし)があったが、弁護士費用や示談金など親が出してることを知ったことも含め(加害者に弁護士が小生に伝えてよいか聞いてもらった)、短絡的な行動やし反省してほしいし示談は受け付けなかった。
まぁ略式起訴で罰金でおわったやろけど。
この様に、偏見は無くなっていない。
偏見は無くなってきたと涼しく生きていても、自身があるキッカケ(意識的にしろ無意識にしろ)で見た目が人と違うようになったとき、あからさまな偏見のナイフで傷つけられた時、偏見は消えるのは難しいと分からせる。
『僕には○○の友だちもいるし、偏見はないよ』
って言葉はよく聞く。
○○には、金髪って言葉や、ゲイって言葉を当てはめたりしたときの問題点は?
一見ポジティブに聞こえることが、実はマイノリティの人に対する差別や偏見につながりかねない――。
私には○○の友だちもいるし、普通に接しているし、差別や偏見はありません。
なんて言葉を、見たり聞いたりしたことがあるでしょうか。
実は、
友だちがいるから差別や偏見はないというんは、黒人差別に関する議論の中で
“I have black friends論法”
などとも呼ばれ、典型的な
“言い訳”
として知られています。
今作品で描かれてるLGBTQなどセクシュアルマイノリティについて、言葉やその存在についての認知はあがってきています。
勿論、日本人のカラフルなヘアカラーなども含め。
しかし、日常生活を見渡してみると、仕事場でも、学校でも、SNSでも、まだまだ知識不足によって偏見を是正できていない場面は多くあるのではないかな。
友だちがいるから理解がある。
の、どんな点に注意が必要なのか。
どうすべきなのか考える時期にきてんのかな。
人は誰しも多かれ少なかれ、差別や偏見に基づいた物の見方をしているもの。
しかし、今日の社会において、それらは忌むべきものとされているわけですが、それでもなお、自分の差別や偏見を正当化しようとする。
まずは、その正当化する体質を改めていかなあかんのかなぁと今作品を見て思った。
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