せーじ

カランコエの花のせーじのレビュー・感想・評価

カランコエの花(2016年製作の映画)
4.3
218本目は、観るタイミングを逃し続けていたこの作品を。
39分の短編ながら構成が抜群に良く、非常に深く考えさせられる作品でした。

冒頭のブラスバンドの演奏を使ったオープニングや、カランコエの「花言葉」の意味、エンドロールの"告白"などの意味の持たせ方が秀逸で、とても見応えがある作品だった様に思う。登場人物の演技にも実在感があり、重い内容ながらもリアルな感触が残る作品だった。
…ただ思うんですけどこの話、いちばん悪いのは、主人公をはじめとする生徒たちではなく、先生方なのではないだろうか。あの"授業"の内容の無さと意味の無さに自分はつくづく違和感と嫌悪感を覚えてしまった。やるのなら関係がないクラスでもそういう授業をキチンとするべきだったし、もっと言えば、何か問題が起きた訳では無いのだから、そもそも授業をする必要すら無く、そっと受けとめてあげるだけで良かったのでは?と思ってしまう。そりゃあ、いきなり見慣れない価値観を、あんな形で無遠慮に放り込むような真似をしたら、誰だって戸惑うに決まっているし、ああいう結末になるのは必然だろう。ましてや高校生くらいの多感な年代だったら尚のこと。主人公をはじめとする生徒たちは「差別をしてしまった」のではなく「大人たちによって差別的な行動をさせられてしまった」ように自分には見えてしまった。

もちろん、それも作り手の意図なのだろうと思う。
この作品は、どちらかというと主人公たち若い世代に向けたものというよりは、暗に親や教師たちに近い、観客として観に来たであろう我々大人世代の人間たちに問おうとしている作品なのではないかと思うからだ。自分自身が当事者になった時にどう振舞うかだけではなく、このことについて悩んでいる人たちの想いを知った時にどう受け止めるべきなのかを、この作品は強烈に問おうとしている。もちろん言い訳なんてさせてはくれないし、安易な理想論を提示したりはしてくれない。そういう段階にまで世の中がきているということを、我々大人は自覚しないといけないのではあるまいかと、この作品は静かに物語っているように感じたのだ。故にあの結末から"本当の物語"は始まるのだろうし、始めていかなくてはならないのだろう。しくじりを避けるように振舞うのではなく、しくじった所からはじめていかなければならないのだという厳しい現実を、まざまざと見せつけられたような気がした。

強いて言えば、特に登場人物が会話をしている場面でカメラワークが安定してないことが多く、止めて撮って欲しい場面でもグラグラと揺れてしまっているのが気になってしまいました。もっともバス車内のシーンみたいに、映画的にも一致した揺れるべき場面で揺れていたのは良かったとは思いますが、ちょっと勿体なかった気がします。
ただ、全体の構成といい、「シュシュ」というアイテムの使い方といい、上手く出来ている作品だとは思います。
長編の作品も観てみたいです。
せーじ

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