磔刑

夜の大捜査線の磔刑のレビュー・感想・評価

夜の大捜査線(1967年製作の映画)
3.3
「アメリカ南部×黒人×白人警官」

白人殺しの犯人を地元の白人警官とたまたま居合わせた黒人警官のティッブス(シドニー・ポワチエ)が捜査するストーリー。南部という立地が捜査を上手く掻き乱す役割を果たしておりミステリーとして十分面白い。
しかし製作された時代が時代なだけに致し方ないがストーリー運びが鈍重で爽快感に欠ける。ティッブスが誤認逮捕されてから身分を明かすまでのシークエンスにそれは集約されており、ティッブス、署長(ロッド・スタイガー)共にやたらと演技、演出にタメが多くテンポが悪い。それが作品内で終始続くのだから鑑賞していて少なからず苦痛が伴う。

南部の黒人差別もドラマに緊張感を与える重要な役割なのだが、真犯人を捕まえた後は差別問題には一切関知せずに終わり、差別問題をミステリーの風呂敷を広げる為に使っただけに思え現代的な価値観で考えれば製作陣の意識の低さを感じてざるを得ない。ティッブスが綿畑のオーナーを一刀両断しろとは言わないが、殺人と南部の差別問題を最終的に別として扱うのなら差別問題には別の着地地点が必要だったのではないでろうか?
ティッブスと対立する署長のドラマが人種差別問題の一つの落とし所ではあるのだが少し踏み込みが甘い様に思える。加えて署長の存在自体がドラマ、事件捜査両方において終始重要な役割を果たせていないのもテーマの扱いを弱く感じてしまう要因だろう。南部を象徴するステレオタイプな役柄且つ、ティッブスにとっての葛藤的役割なのだが口を開けばティッブスを帰らせようとする子供っぽい嫌がらせは単純に物語の推進力を阻害してるだけで何の面白味もなければドラマが停滞する要因でしかなく、物語にとって邪魔でしかない。使う→やっぱ帰れ→やっぱり使う→やっぱり帰れの不毛なループは本当にストレスを感じたし、署長の存在が黒人を否定する只の機械でしかなく、人間味が薄いのも物語の躍動感を奪っている大きな要因だ。
地元の人間ほど黒人に対する差別意識が高くない点、少なくともティッブスの能力は評価している点などティッブスとの人種を超えた友情が芽生え、ドラマとして盛り上がる要素は随所で見え隠れするのだが結局は捜査パートやドラマ双方に上手く作用せずに終わってしまっている。

黒人差別の歴史をドラマにした作品は近年でも多く見られ、歴史的背景を理解する上での相互補完の役割を果たせるだけでも本作は現代において有意義な作品である。何より人種差別が不当行為だと強く認識される現代が過去を振り返った作品ではなく、人種差別がまだ色濃く残る60年代に製作された背景だけでも作品の存在価値が現代において高まる要因と言える。
しかし「北部有能!」「南部無能!」みたいな描き分けは北部側のプロパガンダにも感じられる。そう囚われない為にも署長の役割は重要だったのだが結局は上手く扱いきれていない点は残念である。
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