【ツリー “OFF” ライフ】
今 ここに存在する《わたし》とは、『父と母が結ばれた結果である』といった単純なものになく、祖母や 曾祖父や 更なる前の世代の人達の無数の哀楽・葛藤・願いの《その全てが帰趨したもの》が 今ここに居る《わたし》なのだ。
それを踏まえれば、些細な怒りや悩み等 取るに足らぬ事… 否、寧ろ喜ぶべき事だろうに。
全てはわたし、わたしこそ全てなのだから。
~ この誰もが理解しながらも当然過ぎるが故に 普段顧みずにいる事柄を鮮烈に訴求し得心させる - 主題系こそマリック「ツリーオブライフ」と類似印象を受けたものの、科白に依存せず簡潔にそれを成し得たマリックに対し 本作は喋る〃。
例えば是枝裕和や黒沢清であれば 時の往来なぞ用いずとも科白無しワンカットで表現するであろう代物を、忙し無く時間を行き来し 説教を垂れ流すとはどうゆう事か。
異時元往来も現状に対する弁明/説明の一義的に終始しており、アニメーションとしての必然性すら疑わしい。
重層多角を簡潔化するのではなく、本来簡潔であるべきものの解説にただ〃終始するは新海誠然り。これが時流か。
パンフでやってくれ。
《劇場観賞》