とても嫌な感覚と愛しい気持ちが、ない交ぜになって襲ってきた。
是枝監督の作品を見るとき、必ず味わう感情だ。
同じ場所に傷を持った偽りの家族。
孤独に押し潰されてしまいそうになるのを必死で堪えながら生きている姿を淡々と見つめている視点は優しいけれど、それ以上は近付かない。
映画のカメラが神の視点とするならば、彼らの罪を断罪もしないが、救いの手も差しのべない目線だ。
これは神の視点ではなく、我々世間の目かもしれない。虐待死や孤独死のニュースを見て同情だけして、その後バラエティー番組を見てしまう我々。
気持ちが悪くなるのは、自分たちが遠巻きで他人ごととして、見てみぬふりをしてきたことを突きつけてくるからだ。
是枝監督は、いつも優しく厳しい現実を示してくる。そして説明もその後も見せない。後は、この社会を我々が生きていく。生き延びるために生きていく。
彼らは花火を見れなかった。
それでも鳴り響く、反響音だけで幸せだった。