新潟の映画野郎らりほう

万引き家族の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

万引き家族(2018年製作の映画)
4.7
【パーティション】


マジックミラー越しの男に 自身の手淫行為を見せる亜紀(松岡茉優)。
彼女は男と対面している筈だが、男の居る場所には自身の鏡像が映っている。
その後二人は部屋で共に過ごし 男の手の創傷に想いを馳せるわけだが、ここで男の鏡像である亜紀自身も深く傷付いている事が表徴される―。
凡庸な監督であれば ここから回想に入り傷付いた理由を語る筈だが、この映画は決してそれをしない。更に男(池松壮亮)には科白が無い。
構図で、アイテムで、科白無しで、回想無しの現在進行で、過去の傷を十二分に語ってしまう ― これが映画であり是枝裕和だ。

もし回想をすれば 現在の彼等の行動に対する「弁明」となる。犯罪に携わりながらも、彼等の姿が尚凛として映るのは 彼等にこの弁明が無いからである。

鏡のモチーフは他にも ー 冒頭のスーパーでは窃盗時のスリル醸成として、駄菓子屋では良心の呵責/客観的自己として、そして試着室では『鏡の中の世界しか安寧でいられぬ儚げな虚像の家族』として其々機能する。


鏡と並び頻出するモチーフであり主題系となるのが数々のパーティション/遮蔽物の存在だ。
スーパーで治(リリーフランキー)が祥太(城桧吏)と店員間の遮蔽物となるのは勿論、廃車が置かれた駐車場と周囲高層建築とを分け隔つ壁。釣具窃盗後に河川敷行く彼等の奥にフェンス越しに映る街並み。屋根に遮られ音しか聴こえない花火。
少女ゆり(佐々木みゆ)との出会いもアパート外廊パーティション越しである。

それらは無論 差別/格差の壁であり、無理解の「バカの壁」であり(トランプの謳う露骨な壁よりもある種 質が悪い)見ぬ振り識らぬ振りの“透明な壁"である。
後半に行くにつれキャメラ=観客と被写体の間に シャローフォーカスに依って度々遮蔽物が捉えられている事は絶対に気付いておかねばならないだろう。


終極に少女はパーティションを乗り越える。
然しそんな事は「誰も識らない」。




《劇場観賞》