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ラジオ・コバニのmimitakoyakiのレビュー・感想・評価

ラジオ・コバニ(2016年製作の映画)
3.8
トルコ国境に近いシリアの街コバニは、2014年にISに占領され、2015年に解放されるまで、激しい戦闘によって街は一面の瓦礫と化してしまいました。
そんな中、最低限の機材を調達し、大学生の女の子が友達とラジオ・コバニを立ち上げ、毎朝「おはようコバニ」という番組を放送します。
3年間コバニで取材し、激しい戦闘や解放後のコバニの復興をラジオを真ん中にしながら映したドキュメンタリー作品です。

ISに街が襲撃されて戦闘や空爆によって街が無惨に破壊される。
人々は街から逃れて少しでも安全な場所へ避難しますが、多くの人が殺され、ISに斬首されました。

ブルドーザーで瓦礫を掘ると、腐敗した遺体があちこちから出てくるのです。
首のない遺体。
瓦礫に埋もれて人かどうかも分からないものや、はっきりそれとわかるもの…
思わず目を背けてしまう。
人間があんなボロギレのようになってしまうんだ…。

遺体が放つ腐臭に鼻を覆いながらも、あまりの残忍さと無念さに作業しながら涙するおじさんや、それをそばで見ている子どもを見て、こんな現実があっていいわけがないと悲しくなりました。

きっとこのコバニも人々の暮らしが普通にあり、学校に行ったり仕事に行ったり、遊んだりスマホしたり、そんな日々があったはず。
ラジオ局を立ち上げたディロバンの「戦争に勝者などいない。どちらも敗者です」という言葉にわたしも共感するのですが、やはり当事者の人の言葉は重みが違います。

一面灰色の瓦礫になった街の光景は、戦争とは違うけど東日本大地震で津波によって破壊された東北の光景と重なります。
「おはよう、コバニ」と呼びかけるディロバンと、震災後に東北でコミュニティラジオが被災した人たちを励ましつなげてきた事ともだぶってきます。

家族や家や街を、たくさんの大切なものを根こそぎ奪われた人たちが解放後の街に戻ってきて、瓦礫をどけ、パンを焼き、ラジオから音楽が流れ、子どもたちのはしゃぐ声が響く。
どれだけ失っても、深く傷つけられても、生きて、そしてまた生活を、街を再建しようとする人たちの逞しさに触れ、生きる力強さに胸を打たれました。

あまりにも危険過ぎてメディアやジャーナリストもシリアに入ることができず、シリアのリアルな姿がなかなか見えない中、このような映画が伝えてくれるものの大きさを感じます。

シリアの惨状を記録し海外に伝えようとスマホで撮影したドキュメンタリー映画の「ラッカは静かに虐殺されている」もぜひ見てみたいです。

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