クソ爆笑映画だと思ったけど、かなり哲学的な映画だった。
爆笑は確かにする映画で、8割はそれだけど、
まさか最後は少し寂しさを残す映画だとは…。
前述の通り、大体はカオスすぎる展開にもう唖然としながら、可笑しくて腹を抱えます。
予告見てもらえばわかると思いますが、
カオスすぎる展開で、予告見ただけでは
ストーリーが全く頭に入りません。
なんで腹踊りしてるの?なんで猿が戦ってるの?
もう、意味不とはこれのこと。
しかし、物語が進むにつれ、
出てくる登場人物に「あれ?周りにこんな人いるぞ?」と思ってくる。
人をモノみたいに扱って、見下す人。
権力のためだけに、エゴな行動を起こす人。
頑固で真面目だけど、なんも変えられない人。
不器用で馬鹿にされてるけど、その人なりに頑張ってる人。
そして、それらの人全員をこの社会を俯瞰して馬鹿にしてる人。
よく仕事をしてて、そういう人間の奥底がみえることがある。
そんな現代にも通ずる社会構造を実は表してることに途中で自分ごと化することで気付く。
カオスな状況に最初は笑ってるけど、
実はこのカオスな状況は俺たちが過ごしてる日常と同じだと思い始めると、
笑いから、悲しさに変わってくる。
今まで笑ってきたものは、俺たち自身を笑ってることと気付く。
社会はずる賢い人が権力を握り、
人がいい人を使い倒していく。
だから、物語の中でもいい人ほど早く死んでいく。
そんな中で迎えるラストはこうあってほしいという制作側の理想論。
でも、理想論だからこそ、最後に放つナレーションは現実的で切ない。
この映画は映画らしからぬ、ナレーションが多用される。
映画は映像なので、言葉ではないものでいかに表すかが重要になってくるので、
普通であればこのナレーションはタブーである。
ただ、この映画ではナレーションがあることによって、第三者的な目線に立って、時に滑稽に、時に暖かく映される社会を語る。
だからこそ、人間ではない猿もその第三者的な役割として出てくる。
エンドクレジットのロック調の音楽からバラードに移る演出もこの映画の構造を表してる。
上手い…。
多分普通だったら観に行かなかったけど、
たまたま友人と観にいくことになって、
とてつもない良いものに出会えた。
これが友人と映画に行くときの醍醐味。
まりこ、ありがとう。